井草八幡宮(いぐさ はちまんぐう)    Igusa Hachimangu Shrine    天空仙人の神社仏閣めぐり

井草八幡宮 Official Page

八幡宮

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井草八幡宮 神将門 井草八幡宮 本殿
「神将門」「拝殿」
Shinsho MonHaiden
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井草八幡宮 神門 井草八幡宮 回廊
「神門」「回廊」
Shin MonKairo
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井草八幡宮 井草八幡宮 神紋
「扁額」「神紋 三つ巴」
HengakuMitsidomoe Mon

井草八幡宮 擬宝珠 井草八幡宮 絵馬
「擬宝珠」「絵馬」
GiboshiEma
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井草八幡宮 源頼朝公絵馬井草八幡宮 大燈明
「源頼朝公絵馬」「大燈明」
Minamoto Yoritomo Ko EmaDaitomyo
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井草八幡宮(いぐさはちまんぐう)

Igusa Hachimangu Shrine

東京都杉並区善福寺1の33

1-33,Zenpukuji,Suginami-Ku,Tokyo 

TEL. 03-3399-8133

アクセス

西武新宿線上石神井駅下車徒歩20分


御祭神

八幡大神(応神天皇)


由緒

井草八幡宮は、古くは南に善福寺川の清流を望み、中世初頭まで宿駅として、また交通の要衝とし て栄え、今なお「武蔵野」のおもかげ残る秀麗の地に鎮座し、古地名を冠して遅野井(おそのい) 八幡宮とも称せられていた。

善福寺川の源泉である善福寺池が豊富な湧水であったことから、この附近にはかなりの昔から人々 が生活していたと想像され、境内地及び周辺地域からも縄文時代(約四千年前)の住居址が発見さ れ、また多くの土器や石器が発掘されている。

当宮は創始当時、春日社をお祀りしていたが、源頼朝が奥州征伐の途次、戦勝を祈願して以来八幡 宮を合祀し、後年春日社を末社として奉斎するようになった。

また、源頼朝が起請(文治五年 1186年)して霊験を得、報賽のための松樹を手植し奉献した と伝えられる老松が、「天然記念物−井草八幡の松」であった。残念なことにこの老松は昭和48 年枯れてしまったが、その樹根の一部が現在、当社回廊に飾られている。

文明9年には太田道灌が石神井城の豊島氏を攻むるに当り、当社に戦勝を祈願したと云い伝えられ ている。

江戸時代になると三代将軍家光は、寺社奉行井上正利をして社殿を造営せしめ、慶安2年に朱印領 六石を寄進している。また歴代将軍何れも朱印地を寄進し江戸末期の萬延元年に及んでいる。

今川範英は三代将軍徳川家光から上井草村、下井草村等を加増の知行地として賜った時から当社を 氏神として崇敬するようになり、諸調度を奉献するなど当社の興隆に努め、爾来今川氏は代々毎年 の例祭には幣物を奉るのを恒例としていた。

江戸時代には氏子崇敬者により、石燈篭、石鳥居、狛犬、手水盤などが奉献され、そのつど今川氏 から寄附や記念品の大幟などか奉納されている。

明治以降も氏子崇敬者によって社殿の改修、境内の整備が行われ、その後更に社殿や他の建造物を 増築し、植林を行い境内を整備拡張した。

また、文華殿(宝物館)、民俗資料館、幼稚園を設置し、社宝や郷土の民俗資料の保存、展示を図 り、教化活動の一環としての幼児教育を行っている。

昭和41年には旧官国幣社に準ずる神社本庁の別表神社に加列され今日に至っている。


井草八幡宮 由緒

主祭神 八幡大神

当社は、古代より人々の生活の場であった遅野井(上井草村)の地に鎮まり、付近から縄文時代の 住居跡や多くの土器・石器が発掘されてます。中でも文華殿(宝物殿)に収蔵する顔面把手付釣手 形土器(重要文化財)は火を灯した痕跡があり、何らかの祭祀儀礼に用いたと想像され、この辺り が神聖な地であったことが窺えます。

鎌倉時代に入り、文治五年(1189)に源頼朝公が奥州征伐の途次、戦勝を祈願しました。その 願いが叶って頼朝公自ら松樹を手植えしましたが、現在は枯れてしまい、その末流に当たる松が境 内で育っています。

室町時代には太田道灌が石神井城の豪族豊島氏を攻めるに際して、当社に戦勝を祈願したと伝えら れています。

江戸時代になると三代将軍家光より朱印領六石が寄進され、こののち歴代将軍何れも朱印地を寄進 して萬延元年にまで及んでいます。この地域の地頭であった今川氏も当社を深く崇敬し調度品など を奉納し興隆に努め、寛文四年(1664)に寺社奉行の命により改築した本殿は、現在杉並区内 で最も古い木造建築物です。

明治以降も氏子崇敬者の助力により境内を整備拡充し、社宝や郷土の民俗資料の保存のため文華殿、 民俗資料館を設置し、教化活動の一環として幼稚園教育を行っています。

昭和41年には旧官国幣社に準ずる神社本庁別表神社に加列され今日に至っています。

境内 案内板より


井草八幡宮

この神社は旧上、下井草村の鎮守です。御祭神は八幡大神で、明治時代までこの付近の古い地名から、 遅野井八幡宮とも呼ばれていました。

境内東側付近からは縄文時代中期(約4,000年前)の住居址が発見され、多くの土器が発見され ました。その中の顔面把手付釣手形土器は、国の重要文化財に指定されております。 このように当社周辺は太古の昔から森もあり水も豊かで、生活に適した景勝の地であったと思われます。

当社は900余年の歴史をもつと伝えられ、社前には源頼朝が文治2年(1186)奥州藤原泰衡征討の際、 戦勝を祈願して手植寄進したという天然記念物の大きな松がありましたが、残念ながら昭和48年枯れてしまいました。 また、江戸時代の慶安2年(1649)徳川家光は、社殿を造営させ朱印領六石を寄進しております。

祭日は10月1日を中心に、3年ごとに神輿の渡御、5年ごとに鎌倉の昔をしのぶ珍しい流鏑馬の神事 が行われています。

   昭和54年2月1日

杉並区教育委員会 説明板より


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