東京十社めぐり
     Tokyo Ten Jinja Shrine
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東京十社

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根津神社 神田神社
「根津神社」「神田神社」
NEZU JINJA SHRINEKANDA JINJA SHRINE
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「亀戸天神社」「白山神社」
KAMEIDO TENJIN SHRINEHAKUSAN JINJA SHRINE
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王子神社 芝 大神宮
「王子神社」「芝 大神宮」
OUJI JINJA SHRINESHIBA DAIJINGUU SHRINE
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日枝神社 品川神社
「日枝神社」「品川神社」
HIE JINJA SHRINESHINAGAWA JINJA SHRINE
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富岡八幡宮 赤坂氷川神社
「富岡八幡宮」「赤坂氷川神社」
TOMIOKA HACHIMANGUU SHRINEAKASAKA HIKAWA JINJA SHRINE
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東京十社めぐり


根津神社

景行天皇の御代日本武尊が駒込の地に創祀、後文明年間に太田道灌が社殿を奉建した。

現在の社殿は宝永3年五代将軍徳川綱吉が嗣子家宣の氏神社として当地に奉建したもので、 当時の唐門、透塀、楼門等の結構が全て現存、国の重要文化財に指定されている。又その 祭礼は天下祭として有名で今に伝えられている。

境内は約七千坪、古来つつじが岡と称せられ、今も花季には数千本が咲き競う名勝である。


神田明神

当社は天平2年、出雲族真神田臣が祖神大己貴命を現在の皇居大手門付近に祀ったのを創 祀とし、後、時宗真教上人により平将門公が合わせ祀られ以来江戸総鎮守守神田明神とし て広く庶衆の信仰を集めた。徳川将軍の江戸城拡張に際し、元和2年の鬼門の守護神とし て現在地に遷座され、歴代将軍家の尊崇篤く、神田祭は天下祭と呼ばれた。

その後明治天皇の御親拝を仰ぎ、現在は東京の中心108町の氏神として崇められている。


芝大神宮

平安時代寛弘2年に創建、古くは芝神明と称したが明治5年正式に官許され芝大神宮に改 称す。

祭礼は期間の長さから(11日〜21日)「芝神明だらだら祭り」として知られ、生姜市、 甘酒茶屋で有名、授与品には「千木筥」がある。これは東京の郷土玩具としても知られて いる。江戸時代境内でおきた、め組鳶と角力とのいさかいは「め組の喧嘩」として再三歌 舞伎で上演せられ、その半鐘は今でも宝物として当宮に保存されている。


亀戸天神

学問の神様、菅原道真公(天神様)を祀る。

寛文2年(1662)菅家の後裔、菅原大鳥居信祐公が九州の太宰府天満宮より勧請、地 形をはじめ社殿や楼門、太鼓橋など境内の結構をすべて太宰府の社にならって造営したの を起源とする。

爾来、亀戸宰府天満宮とも号され、朝野の信仰厚く、また、行楽の名勝地としても喧伝さ れ、杖をひく人跡を絶たない繁栄をみせ、江戸庶民信仰の本源として関東天神信仰の中枢 を占めている。

春は梅花に藤の花、秋は菊花−−四季折々の彩りは、まさに”花の天神様”というにふさ わしい。


白山神社

天暦2年加賀一宮白山神社を現本郷元町に奉勧請す。建武4年足利尊氏公により国家平安 御祈願所に命ぜらる。元和2年徳川秀忠公の命に依り巣鴨原へ遷座、慶安4年徳川家綱公 の用地と相成り明暦元年現社地に移奉す。後に五代将軍綱吉公と生母桂昌院の信仰を受け 小石川の鎮守となる。

近年6月には三千株のあじさいが群れ咲き、あじさいの神社として都心の新名所でもある。


品川神社

文治3年(1187)、源頼朝が海上交通の安全と、祈願成就の守護神として、安房国洲 崎明神である天比理乃当スを勧請し、品川大明神と称した。

後醍醐天皇の御世に、北條高時の臣二階堂貞藤(道蘊)が、産業の守護神として、宇賀之 売命を勧請し社地を吉端岡と名付けた。

文明10年6月太田道灌が、風水害、疫病、歌謡の守護神として、素盞雄尊を勧請し6月 の天王祭が始まる。東海道品川宿の鎮守である。


富岡八幡宮

寛永4年(1627)の創建以来隅田川両岸(深川・新川・箱崎)の氏子を始め、広く人 々の崇敬を集めている江戸最大の八幡さまで、「深川の八幡さま」と親しまれている。当 宮の祭礼は深川八幡祭りとして江戸三大祭りのひとつに数えられ、氏子町内神輿百二十数 基による勇壮な水かけ祭りが知られている。

平成3年に復活された御本社神輿は台輪幅五尺の日本一の黄金神輿である。また、江戸勧 進相撲発祥の神社としても知られ、歴代横綱の名を刻した横綱力士碑がある。


王子神社

元享2年、当時の領主豊島氏が紀州の熊野権現を勧請し若一王子宮と奉斎してより王子の 名称が起る。

後に徳川家康公は社領200石を寄進し将軍家祈願所と定め、歴代の将軍の崇敬厚く、8 代吉宗公には、元文2年飛鳥山を開き、王子権現の名と飛鳥山の花見は江戸名所として知 られる。

古くから伝えてきた田楽舞は、戦前「喧嘩祭」の異名で有名だった。昭和59年に復元、 毎年例大祭に奉納され北区無形文化財に指定されて、又、開運の御神徳を授くとする「御 槍」も授与されている。


赤坂 氷川神社

天暦5年(951)赤坂一ツ木に創祀す。江戸幕府の尊信篤く、紀州徳川赤坂屋敷(旧赤 坂離宮)の産土神の由縁によって享保元年(1716)8代将軍吉宗公将軍職を継ぐに至 り同14年赤坂今井台に神徳を謝し現社殿を造営、8代より14代家茂公まで歴代の直拝 朱印状が納められている。昭和27年社殿、同29年神馬額絵4点それぞれ都重宝に指定 さる。

尚現社地は元禄の頃は浅野土佐守邸跡(都旧跡)で浅野内匠頭夫人遥泉院の実家で大石蔵 之助が討ち入り前の訪れて別れを告げた忠臣蔵雪の別れの南部坂は東方500メートル先 にある。

東京十社めぐり パンフレットより


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