西院の河原地蔵菩薩和讃
           Songs
                  天空仙人の神社仏閣めぐり

西院(さい)の河原の地蔵和讃


これはこの世の事ならず死出の山路(やまじ)の裾野(すその)なる

西院(さい)の河原の物語聞くにつけても哀れなり

二つや三つや四つ五つ十(とお)にも足(た)らぬみどり子が

西院の河原に集まりて父上恋し母恋し

恋し恋しと泣く声はこの世の声とはことかわり

哀しみ骨身(ほねみ)を透(とお)すなりかのみどり子の所作として

河原の石を取り集めこれにて回向(えこう)の塔を組む

一重(いちじゅう)組くんでは父のため二重(ふたじゅう)組んでは母のため

三重(みじゅう)組んでは故里(ふるさと)の兄弟わが身と回向して

昼は独りで遊べども陽も入相(いりあい)のその頃は

地獄の鬼があらわれてやれ汝等(なんじら)は何をする

娑婆(しゃば)に残りし父母は追善作善(ついぜんさぜん)の勤めなく

只あけくれの嘆きにはむごや悲しや不憫(ふびん)やと

親の嘆きは汝等が苦患(くげん)を受くる種となる

われを恨(うら)むことなかれと黒鉄(くろがね)の棒をさしのべて

積(つみ)たる塔を押しくずすその時能化(のうけ)の地蔵尊

ゆるぎ出(いで)させ給(たま)いつつ汝等命短くて

冥土(めいど)の旅に来たるなり娑婆と冥土は程とおし

我を冥土(めいど)の父母と思うて明け暮れ頼めよと

幼きものを御衣(みころも)のもすその内(うち)にかき入れて

あわれみ給うぞ有難きいまだ歩まぬみどり子を

錫杖(しゃくじょう)の柄(え)に取り付かせ忍辱慈悲(にんいくじひ)の御肌(みはだえ)に

いだき抱えて撫(な)でさすりあわれみ給うぞ有難き

南無延命地蔵菩薩(なむえんめいじぞうだいぼさつ)

【伝・空也上人作】


地蔵菩薩和讃


帰命 頂礼 地蔵尊

物の哀れのその中に

西の河原のものがたり

身に心の耐えがたき

十より内の幼な子が

広き河原に集まりて

父を尋ねて立ちまわり

母を焦がれて歎ぬる

余りの心の悲しさに

石を集めて塔を組む

一つ積んでは父を呼び

二つ積んでは母恋し

乳房を与え給えかし

一口飲まば歎くまじ

東に西に駆けまわり

声を張り上げ悶えても

親と答うる声もなし

暫し泣き居る有様を

地蔵菩薩はご覧じて

今より後は我を皆

父とも母とも思うべし

われもわれもと集まりて

大悲の仏に縋る子を

抱え給うぞ有り難き


黒谷和讃


きみょうちょうらいくろだにの えんこうだいしの おしえには

歸命頂禮黒谷の 圓光大師の教には。

にんげんわずか ごじゅうねん はなに たとえば あさがおの

人間僅か五十年。 花に譬へば朝顔の。

つゆより もろき みをもちて

露より脆き身を持て。

なぜの ごしょうを ねがわぬぞ たとえ うきよに ながらへて

何故の後生を願はぬぞ。 假令浮世に 長らへて。

たのしむ こころに くらすとも おいも わかきも つまもこも

樂しむ 心に 暮すとも。 老も 若きも 妻も子も。

おくれ さきだつ よのならい

遅れ 先立つ 世の慣ひ。

はなも もみじも ひとさかり

花も 紅葉も 一盛り。

おもえば われらも ひとさかり

思へば 我等も 一盛り。

とおや じゅうごの つぼみはな

十や 十五の 蕾花。

じゅうくや はたちの はなざかり しょたいざかりの ひとびとも

十九や二十の花盛り。 世帯盛りの人々も。

こよいまくらを かたむけて すぐに とんしをするもあり

今宵枕を傾けて。 直に 頓死をするも有り。

あさなに わらひし おさなごも くれには けむりとなるもあり

朝なに笑ひし稚兒も。 暮には 煙となるも 有り。

あわれ はかなき われらかな しゃばは ひに ひに とおざかり

憐れ 儚き 我等かな。 娑婆は 日に 日に 遠ざかり

しするは としどしちかずきて きょうは たにんの そうれいし

死するは 年々近付て。 今日は 他人の 葬禮し。

あすは わがみも はかられず これを おもえば みなひとよ

明日は 我身も 圖れず。 是を 思へば 皆人よ。

おやきょうだいも ふうふとも さきだつひとのついぜんに

親兄弟も 夫婦とも。 先立人の追善に。

ねんぶつとなえて しんずべし あら ありがたや あみだぶつ

念佛唱へて 信ずべし。あら 有難や 阿彌陀佛。

なむあみだぶつ

南無阿彌陀佛。


和讃


帰命 頂礼 釈迦牟尼の教え賜いし世の習い 人間わずか五十年

花に例えて朝顔の露より脆き身を持ちて 老いも若きも妻も子もおくれ先だつ世の習い 遅れ、先立つ 世のならい

朝なに笑いし幼子も 暮れには煙となるもあり。

憐れ儚き我等かな 娑婆は日に日に遠ざかり。

死するは年々近づきて 今日は他人を葬礼し 明日は我が身も図られず。

これを思えば皆人よ 親兄弟も夫婦とも 先立つ人の追善に 念仏唱えて信ずべし


大弁財天女尊 和讃


抑も大慈大悲の大弁財天女尊を信ずる者は人に慈悲憐れみの心深く、 善根功徳を積み、又無益の殺生をせず、寝ても覚めても誠一つに心は 弁財天女にまかすべし、

如何なる願いもかくるとも悉く成就すること疑いなし、 末世無福の衆生は福徳知恵共に欠け、常に罪を犯して分限に非らざることを 乞い求め、朝な夕なに及びなき物を望みて奔走す、

衆悪これに依りて生長し諸善これが為に損壊す、 されば弁財天女尊これを悲しみ給うて、

官位、財宝、知恵、寿命、除病息災・無上菩提の福徳を求めに任せ授くるなり、 天女尊誓って曰く、若し世上に正しき心にて、我が名を聞かん者、我ありと知らん者、 當に此の人の傍らにありて福徳を授け守護し給うと、

鳴呼有難きかな誓願誠に深くして我等如何なる因縁のある身にても見捨て玉わず、 又現世のみに非らず、必ず未来は浄土に導きこと、

佛の慈悲のありがたさ、口に念仏をいずる時は、神佛のごさいそくと心得て 夢油断すべからず、一心に弁財天女尊を供養し、礼拝の功徳を積むは、 弁財天女の摂取に洩れぬしるしぞと、

仰ぎ尊び喜びて益々信心堅固にし、誠の心を一筋に、福徳円満、家運長久、 火難厄除、交通安全、息災延命を祈願し、併せて報恩謝徳の為に唱え奉る

南無弁財天女尊、南無弁財天女尊

おんそらそばていえいそわか


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