牛島神社(牛御前社)(うしじま じんじゃ) Ushijima Jinja Shrine (Ushi Gozen sha) 天空仙人の神社仏閣めぐり
「牛島神社」 | 「神紋 丸に剣片喰」 |
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Ushijima Jinja | Shinmon Maruni Ken Katabami |
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「三輪鳥居とご祭礼」 | 「御神輿」 |
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Miwa Torii | Mikoshi |
「牛のお守り」 | |
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Ushi no Omamori |
「なで牛」 | 「社号額」 |
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Nade Ushi | Shago-Gaku |
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「獅子頭」 | 「獅子頭」 |
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Shishi-gashira | Shishi-gashira |
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「狛牛」 |
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Koma-ushi |
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東京都墨田区向島1−4−5
1-4-5,Mukojima,Sumida-Ku,Tokyo
東武伊勢崎線「東京スカイツリー」駅から徒歩約7分
御由緒 牛嶋神社は隅田川の東岸、もと水戸徳川邸跡の隅田公園に隣接する墨田区向島一丁目四番地に鎮座しています。 古くは本所区向島須崎町78番地(向島・長命寺の近く)にあったが、 関東大震災後隅田公園の設計の都合上、昭和の初め現位置に再建されました。 明治維新前は本所表町(現・墨田区東駒形)の最勝寺がその別当として管理していたが、 明治初年の神仏分離後『牛の御前』の社名を『牛嶋神社』と改め郷社に定められた。(本所の総鎮守である) 神社に伝わる縁起書によると、貞観2年(860)慈覚大師が御神託によって須佐之男命を郷土守護神として勧請して創祀し後、 天之穂日命を祀り、ついで清和天皇の第七皇子貞辰親王がこの地でなくなられたのを、大師の弟子良本阿闇梨がその神霊を併せてお祀りし『王子権現』と称した。 例祭日9月15日は、貞観のむかしはじめて祭祀を行った日であるといわれている。 治承4年(1180)9月源頼朝が大軍をひきいて下総国から武蔵国に渡ろうとした時、 豪雨による洪水の為に渡ることが出未なかった。 その時武将千葉介平常胤が祈願し神明の加護によって全軍無事に渡ることができたので、 頼朝はその神徳を尊信して翌養和元年(1181)に社殿を経営し、千葉介平常胤に命じて多くの神領を寄進させた。 永禄11年(1568年)11月に北条氏直が関東管領であった時、大道寺駿河守景秀が神領を寄進している。 また天文7年(1538年)6月28日に後奈良院より『牛御前杜』との勅号を賜ったといわれる。 江戸時代に於ては鬼門守護(最勝寺は五色不動の目黄不動尊)の杜として将軍家の崇敬厚く、 特に三代将軍家光は本所石原新町の土地を寄進して祭礼神輿渡御の旅所としたという。 もとの若宮町(現在本所二丁目)の攝杜若宮はこれである。 総桧権現造り東都屈指の大社殿を誇る牛嶋神社は、昭和32年鎮座千百年祭を行い氏子五十余町牛島講の守護神として崇敬尊信をあつめている。 本殿前には全国的に珍しい三輪鳥居(三つ鳥居)と「狛牛」があります。
牛嶋神社 貞観2(860)年に慈覚大師が、御神託によって須佐之男命を郷土守護神として勧請創祀したと伝えられる本所の総鎮守。 関東大震災で焼失する前は墨堤常夜燈(隅田公園内)の東側にあった。 昭和7年(1932)に墨田堤の拡張により、現在の場所に再建された。 本殿の左右に、神牛が奉納されている他、建長3(1251)年には牛鬼が社中を走り回り、落として行った牛玉を神宝としたという伝承も残る。 また境内には、江戸中期から後期の国学者・加藤千蔭の碑や江戸落語を中興したといわれる立川(烏亭)焉馬(1743〜1822)の「いそかすは 濡まし物と 夕立の あとよりはるる 堪忍の虹」の句碑などがある。 5年に一度の例大祭は、牛が引く鳳輦を中心に古式床しい祭列が、向島から両国に広がる氏子の町内を2日かけて巡り、 本所2丁目の若宮公園内にある御旅所で1泊する。 返礼の町神輿の宮入れは50基が連なる都内最大の連合渡御となる。 境内 案内板より
撫牛(なでうし) 撫牛は仏寺の御賓頭廬様(おびんずるさま)とおなじように、自分の体の悪い部分をなで、牛の同 じところをなでると病気がなおるという信仰で、体だけではなく心もなおるという心身回癒の祈願 物である。 また、子どもが生まれたとき、よだれかけを奉納し、これを子どもにかけると健康に成長するとい う言い伝えもある。 この牛の像は、牛御前または牛島という神社の名称に由来して作られたもので、文政8年(182 5)ごろ奉納されたといわれている。 明治初期の作家、淡島寒月の句に「なで牛の石は涼しき青葉かな」と、詠まれているように、撫牛 の信仰はかなり古くから知られている。 社頭案内板 墨田区
御祭神 須佐之男命(すさのおのみこと) 天之穂日命(あめのほひのみこと) 貞辰親王命(さだときしんのうのみこと) 貞観2年(860年)、慈覚大師の御神託により創建。五年に一度の大祭では、鳳輩(牛車)を中 心とする古式豊かな行列が氏子五十町安泰祈願巡行する。この神幸祭は、今日では珍しく黒雄和牛 が神牛となり鳳輦を曳いている。境内の「撫で牛」が有名。 墨田区の氏神さま より |
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