筑波山神社(つくばさん じんじゃ)
        Tsukubasan Jinja Shrine 
          26.Nov.2010
            天空仙人の神社仏閣めぐり
筑波山神社 Official Page
筑波山神社 拝殿
「筑波山神社拝殿」

筑波山神社 拝殿 写真 筑波山神社 拝殿 写真
「拝殿」「拝殿」
HaidenHaiden
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筑波山神社 随神門 写真 筑波山神社 扁額 写真
「随神門」「扁額」
ZuishinmonHengaku
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筑波山神社 御神橋 写真 筑波山神社 御神橋 写真
「御神橋」「御神橋」
GoshinkyoGoshinkyo
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筑波山神社 宇宙の卵 写真 筑波山神社 御神水 写真
「宇宙の卵」「御神水」
Uchu no TamagoGoshinsui
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筑波山神社 倭建命 写真 筑波山神社 豊木入日子命 写真
「倭建命」「豊木入日子命」
Yamato Takeru No MikotoToyoki Irihiko no Mikoto
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筑波山神社 狛犬 写真 筑波山神社 縁結び絵馬 写真
「狛犬」「縁結び絵馬」
KomainuEma
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筑波山神社(つくばさん じんじゃ)

Tsukubasan Jinja Shrine

茨城県つくば市筑波1番地

1,Tsukuba,Tsukuba-shi,Ibaraki


筑波山神社は、男体山頂に伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、女体山頂に伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祀り、 古来から山岳信仰の霊山として栄え、弘仁14年(823)には官社に列するなど由緒深い名社であります。

江戸時代には、将軍家の祈願所として歴代将軍の厚い保護を受け、神領は広大なものでありました。

第三代将軍家光から寄進された銘吉宗の太刀は、国の重要文化財に指定され、社宝となっています。

例祭は春秋(4月1日、11月1日)二期の御座替祭が有名です。

環境庁・茨城県 案内板より


御神橋

天正18(1590)年徳川家康公が江戸城に入城され筑波山を仰いで江戸城鎮護の霊山と崇め給う。

寛永10(1633)年三代将軍家光公寄進

元禄15(1702)年五代将軍綱吉公改修

安土桃山時代の豪壮な遺風が見られる。

この御神橋は春秋の御座替祭(4月1日・11月1日)・年越祭(2月10・11日)に 参拝者の渡橋が許される。


随神門

八脚楼門 間口5間2尺 奥行 3間

寛永10年11月(1633)3代将軍家光公寄進

宝暦4年(1754)焼失 再建

明和4年(1767)再び焼失

文化8年(1811)再建 県内随一の規模

往古は、これより神体山である筑波山を遥拝したといわれ、 今でも自然と社殿とが一つになり神ながらの荘厳さを感じせしめる 霊所である。

当神社の境内地はこれより山頂を含む約370町歩(ha)に及ぶ。


倭建命(やまとたけるのみこと)

筑波山に縁り深い古代武人の一人で第十二代景行天皇の皇子である。 天皇の四十年伊勢神宮に詣でて倭姫命より託された三種の神器の一つのあるのむらくもの剣を奉じて 東征に赴き筑波山に登拝し給う。

東北の日高見国より還路甲斐国酒折宮にて「にいばり筑波を過ぎて幾夜か寝つる」 と詠み給い篝火役の翁が「かかなべて 夜には九の夜 日には十日を」 と詠い続けた。世に筑波の道と云い連歌の始まりである。


豊木入日子命(とよきいりひこのみこと)

筑波山に縁り深い古代武人の一人で第十代崇神天皇の皇子である。 命が或夜大和国みもろ山に登って東に向い 刀と槍を各八回振る様を夢見られ天皇は霊夢の謎を解き給いて 命を東国(木国)に遣わし給う。

命は長くこの地を治められ筑波の里で神去り給うたが 御遺徳を慕う山西の民により宇都宮ニ荒山神社に祀られ 下毛君 上毛君の祖と仰がれた。 五世紀ごろ山東の柿岡に栄えた佐自奴公(さじぬのきみ)もまた同族である。

境内 案内板より


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