赤坂 山王稲荷神社(さんのう いなり じんじゃ)      Sanno Inari Jinja Shrine   天空仙人の神社仏閣めぐり

赤坂 日枝神社 Official Page
赤坂 山王稲荷神社
「赤坂 山王稲荷神社」

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「赤坂 山王稲荷神社」
Sanno Inari Jinja Shrine
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赤坂 山王稲荷神社 稲荷参道 写真 赤坂 山王稲荷神社 稲荷参道 写真
「稲荷参道」「稲荷参道」
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赤坂 山王稲荷神社(さんのう いなり じんじゃ)

Sanno Inari Jinja Shrine

東京都千代田区永田町2丁目10番5号 日枝神社 末社

2-10-5,Nagata-Cho,Chiyoda-ku,Tokyo


山王稲荷神社

例祭:4月下午の日

祭神 倉稲魂神 (うがのみたまのかみ)

稲荷の大神は古来、生成発展・商売繁昌の守り神として全国に祀られ、 ここ永田馬場星が岡の地主神として松平主殿頭忠房の邸内に祀られ、特に火伏せの信仰が篤く、 萬治2年4月本社山王権現が麹町より移遷されるに至り境内末社となった。


山王稲荷神社本殿

千代田区指定有形文化財 指定 昭和63年4月

山王稲荷神社は、日枝神社が万治2年(1659)麹町隼町から現在地に移されるより以前、 当地が福知山藩主松平忠房の邸地であった頃、すでに邸内鎮守として祀られていたと考えられる。 この地主稲荷社と現存する建物との関係は不明である。

『日枝神社史』『江戸名所図会』『甲良家文書』等の資料や棟札(昭和20年焼失)、 細部絵様、同時期の公儀普請・浅草神社(慶安2年・1649建立)等との比較、 技法の共通性から、万治2年山王社造営奉行板倉甚太郎重直・横山内記知清両人により 日枝神社造営時に新しく造営されたものであると推定される。 江戸時代の多くの災害のほか昭和20年5月25日の空襲による日枝神社社殿焼失の際、 校倉とともに戦災を免れて残った唯一の社である。 本社復興までの間、日枝神社の仮本殿として用いられた。 現存の社の建立年代を示す直接資料を欠くものの、日枝神社末社として本社とともに公儀普請により建設された可能性が高く、 17世紀中葉の江戸における幕府建設活動を示す数少ない遺構例のひとつであり、 加えて関東地方には希少の縋形式の春日造本殿であることは特筆される。

千代田区教育委員会

境内 案内板より


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