大本山永平寺別院 長谷寺(ちょうこくじ)      Choukokuji Temple       3.May.2007          天空仙人の神社仏閣めぐり

大本山永平寺別院 長谷寺 Official Page

長谷寺

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長谷寺 本堂 長谷寺 観音堂
「本堂」「観音堂」
HondoKan-non-do
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長谷寺 長谷寺
「永平別院」「僧堂」
Eihei-betsu-inSobo
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長谷寺 麻布大観音 長谷寺 麻布大観音
「麻布大観音」「麻布大観音」
Azabu Dai-kannonAzabu Dai-kannon
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長谷寺 風神像 長谷寺 雷神像
「風神像」「雷神像」
Fujin-zohRaijin-zoh
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長谷寺 長谷寺
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大本山永平寺別院 長谷寺(ちょうこくじ)

Choukokuji Temple

東京都港区西麻布2-21-34

2-21-34,Nishi-azabu,Minato-ku,Tokyo


かつて「渋谷が原」と呼ばれたこの地には、古くから観音堂が建ち、奈良長谷寺の観音さまと同じ木片で造られたという、 小さな観音さまが祀られ、人々に親しまれていました。

慶長三年(1598)に徳川家康公の命を受け門庵宗関大和尚が東京都港区赤坂溜池に開創。

時流れて徳川家康公開府の後、この観音堂を基に補陀山長谷寺が開かれました。 家康公の幼馴染みでもあった高僧、門庵宗関大和尚をご開山に2万余坪の寺領を賜ったと伝えられてます。

正徳6年(1716年)2丈6尺の大観音を建立。古仏は尊像の体内にお納めし、 江戸屈指の観音霊場・江戸観音霊場第22番札所として尊崇(そんすう)を集めました。

近年、戦火で消失した大観音の再建を願う人々の根強い信仰により、高さ3丈3尺、壮麗無比の御姿がよみがえりました。

幾多の災禍を越え、寺観再建が成った今、現代に生きる観音霊場長谷寺は、宗門の専門僧堂(修行道場)大本山永平寺の東京別院として、 また、観音信仰の聖地として、厳粛な信仰の空気に溢れている名刹です。

伊沢蘭軒、井上馨、黒田清輝、会津藩士、エノケン(榎本健一)、坂本九ら、各界の著名故人の個性的な墓碑が数多く並びます。


麻布大観音

当大本山永平寺別院長谷寺の十一面観世音菩薩は、昔から大和長谷寺・鎌倉長谷寺と同木同体の日本三大長谷観音と称せられ、 江戸時代の初めから東都一般民衆の信仰を集めておりましたが、惜しくも昭和20年(1945)の戦災で伽藍共々焼失いたしました。

昭和52年(1977)、当時の監院職にあられた大本山永平寺の七十七世丹羽廉芳猊下(にわれんぽうげいか)が、 格別のお努めをもって有縁の方々の合力を得、前後10年の歳月を閲して現在の麻布大観音及び大観音堂が再建されました。

観音さまは、経に「一心にそのみ名を称せば、観世音菩薩は即時にその音声を観じて皆解脱することを得せしめん」とあるように、 衆生救済の誓願を立て、慈悲の眼をもって衆生を視、願いに応じて無量の福慧を与えたもう菩薩さまで、 中で十一面観音さまは十一の面に人々の苦しみを救う力を秘めた観音さまであります。

御詠歌(江戸三十三ヵ所・第二十二番札所)

めぐり来て ちかひぞあふぐ ふだらくの

       山もめぐみもふかきはせでら

○樟の一木彫  高さ三丈三尺(約10米)

○日本芸術院会員 大内青圃氏謹作


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