福井 瀧谷寺(たきだんじ)
       Takidanji Temple 
           21.JULY.2003
                 天空仙人の神社仏閣めぐり
瀧谷寺 Official Page
瀧谷寺 総門 写真 瀧谷寺 参道 写真
「総門」「参道」
SOU-MONSAN-DO
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瀧谷寺 鐘楼門 写真 瀧谷寺 本堂 写真
「鐘楼門」「本堂」
SHOROH-MON GATEHON-DO
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瀧谷寺 観音堂 写真 瀧谷寺 石庭 写真
「観音堂」「石庭」
KAN-NON-DOSEKI-TEI

ROCK GARDEN

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瀧谷寺 名勝指定庭園 写真 瀧谷寺 名勝指定庭園 写真
「名勝指定庭園」「名勝指定庭園」
MEISHOU TEIEN GARDENMEISHOU TEIEN GARDEN
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瀧谷寺 絵馬 写真 瀧谷寺 絵馬 写真
「絵馬」「絵馬」
EMAEMA
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瀧谷寺 弁財天 写真 瀧谷寺 毘沙門天 写真
「弁財天」「毘沙門天」
BENZAI-TENBISHAMON-TEN
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瀧谷寺 写真 瀧谷寺 写真
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瀧谷寺 写真
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瀧谷寺 境内図
「境内図」

瀧谷寺(たきだんじ)

Takidanji Temple

福井県坂井市三国町滝谷1-7-15 

1-7-15,Takidani,Mikuni-Cho,Sakai-Shi,Fukui


瀧谷寺の略縁起

当山は南北朝の永和元年(1375)紀州根来寺の学頭、睿憲の創建にかかる真言宗智山派に属する名刹である。

当時この地を支配していた奈良大乗院が寺領五百石を寄進し、伽藍の造営を助け、 以来朝倉、柴田、松平氏など、越前歴代領主の祈願所として栄えた。 四万五千平方米の境内地は、町指定の自然環境保全地区であり、参道の杉木立、 柴田勝家寄進の鐘楼門、国指定名勝瀧谷寺庭園をはじめ国宝、重要文化財も数多く、 本堂には泰澄大師作と伝えられる薬師如来を本尊に、 独特の古建築による観音堂には、理源大師(醍醐寺開山)作の如意輪観世音菩薩をお祀りし、 古くより越の国観音霊場として、また近年は北陸観音霊場と北陸白寿観音霊場と多くの信仰をあつめ、 宝物殿には国宝、重要文化財をはじめ数百点にのぼる仏画、古文書類が保存されている。


国宝 金銅毛彫宝相華文磐

磐は元来中国古代の楽器であったものが、後世仏教の鳴器として取り入れられたものである。 これは表裏はほとんど同文の銅磐で、全面に金の鍍が施されている。 山形は低く形は横の長い古風な作りである。 撞座は薄肉で大きくひろがり、左右の袖は鋳出しとせず、魚々子他に線刻で宝相華文を表わしている点が珍らしい。 回様は典麗で周影技は微妙巧緻をきわめ、その高雅な気品は平安時代工芸の粋を示すものである。 肩幅23.8cm、裾張り27.0cm、総高9.5cm。


重要文化財 鎮守堂

木造、柿葺、流造り間口199.8cm、奥行250cm、 室町時代建築の特徴が木割、構造、手法等によくあらわれていてその代表的な優秀作と認められている。 この鎮守堂は当山開基睿憲上人が安島雄島の三保明神等を祀ってある。


名勝庭園

昭和4年日本名勝庭園の一つとして、文部省より福井県下最初の指定を受けたものである。 この庭園は実測五百十五坪一合一勺(1700平方米)あってその築造年代は詳でないが慶長年間から徳川中期の作らしい。 林泉は、本堂より書院に亘って丘陵の斜面に築造せられ山脚の露岩を利用して小池を築き、 古松野に臨み、つつじ等の矮樹を配し石を立て灯籠を置き椎、樅、高野槇等の巨樹を背景としている。


重要文化財 絹本着色地蔵菩薩図像

この画像は濃い彩色と截金(金箔の細い線をはって絵をつくる)の手法によってえがかれている。 その描線や色彩は大和絵固有の手法によるものである。 巧緻繊細な截金は洗練された筆と、よく相和していとも美しい画趣が描き出されている。鎌倉時代の作である。


重要文化財 天之図

本図は上段の歩天歌と下段の星図から成る。 歩天歌は中国の隋の頃星座を詩歌の形に詠んだもので、本図の歩天歌は晁氏志撰「唐歩天歌」(『玉海』所収)とほぼ一致する。 星図は、331星座と1554個の星から成る。 星座の位置は正確さを欠くが星の番号、名称は「格子月進図」(焼失)と、 宿度は賀茂在方著「暦林問答集」(1414年)記載とほぼ一致する。 天之図は四代朝倉孝景から寄進されたもので、室代中期以前に遡る星図として現存唯一の遺品とみられる。


指定文化財 石龕開山堂

室町石仏又は朝倉石仏(笏谷石)内側石棺に十三仏が浮き彫りにされている。 堀江氏(元奈良大乗院荘園預り本荘の庄の地主)の築造されたもので 堀江氏は後に織田信長と相通じ このため信長より当寺は「陣取放火」等の禁制状をうけ兵火よりまぬがれることができた。


前庭園 石庭

観音堂の正面に位置し、九つの石を心字に配し、観世音菩薩の慈悲の心を表わしたものといわれている。


観音堂

寛文年間に大改築をして江戸建築の様式となった。 本尊如意輪観音は京都・嵯峨より勧請しお祀りした鳥羽法皇の御念誦仏であったと伝えられている。


宝物殿

国宝、重要文化財、その他古文書等多数の文化財を収蔵、常時一部を展示してある。


参道

その昔戦国武将の朝倉、柴田をはじめ福井藩、丸岡藩の歴代藩主も祈願のために訪れ この石畳を歩んだ歴史の参道である。 敷石は福井市内で採掘された笏谷石で丸岡城の屋根瓦としても、使われている柔らかい質の石で 足羽川から九頭龍川を舟で運ばれたためか此の町内の旧家の土間にも多く使われ 雨に濡れると青みを帯びた綺麗な色になる。 また龍の口両側にあった大杉は、龍神の杉といわれ陰合陽台共に樹齢約600年の老杉であるが 近年右の一本が枯死したため危険になり伐採した。 かって参道両側には江戸時代に植えられた杉で鬱蒼とした境内であったが樹齢のせいか衰えが著しく、 変わって椿の参道として(椿のある寺百選)に加えられている。

参拝のしおり より


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