高麗神社(こま じんじゃ) Koma Jinja Shrine 3.Oct.2012 天空仙人の神社仏閣めぐり
「高麗神社」 |
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「高麗神社」 |
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「鳥居」 | 「御神門」 |
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Torii | Goshinmon |
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「社殿」 | 「社号額 高句麗神社」 |
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Shaden | Shagogaku |
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「天下大将軍 地下女将軍」 | |
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Tenka Daisgogun & Chika Joshogun | |
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「絵馬」 | 「斎館」 |
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Ema | Saikan |
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「高麗服」 | 「高麗家住宅」 |
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Koma-Fuku | Komake Jyutaku |
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Koma Jinja Shrine
埼玉県日高市新堀833
833,Shinbori,Hidaka-Shi,Saitama
高麗神社 高麗神社は、高句麗国の王族高句麗王若光を祀る社である。 高句麗人は中国大陸の松花江流域に住んだ騎馬民族で、朝鮮半島に進出して中国大陸東北部から朝鮮半島の北部を領有し、約700年間君臨していた。 その後、唐と新羅の連合軍の攻撃にあい668年に滅亡した。この時の乱を逃れた高句麗国の貴族や僧侶などが多数日本に渡り、主に東国に住んだが、霊亀2年(716)そのうちの1799人が武蔵国にうつされ、新しく高麗郡が設置された。 高麗王若光は、高麗郡の郡司に任命され、武蔵野の開発に尽くし、再び故国の土を踏むことなくこの地で没した。 郡民はその遺徳をしのび、霊を祀って高麗明神とあがめ、以来、現在に至るまで高麗王若光の直系によって社が護られており、今でも多勢の参拝客が訪れている。 昭和57年3月 日高市
古代高麗郡と高麗神社 日高市に中心を置いたと考えられられる高麗郡の始まりについて、続日本紀に「霊亀2年(716)5月、甲斐、駿河、相模、上総、下総、常陸、下野7ヶ国から高句麗人1,799人を武蔵国に移し高麗郡を創建した」と記されています。 この時、高麗郡の長となったと考えられているのが高麗神社の祭神で、高句麗からの渡来人であった高麗王若光でした。 その後裔で、代々高麗神社の宮司を務める高麗氏系図には、「若光が没すると郡民はその威徳を讃え、御殿の後山に霊廟を建て神霊を祀り高麗明神と称した」と当社の創建を伝えています。 日高市内には8世紀前半以降の集落跡や女影廃寺、大寺廃寺、聖天院の前身と考えられている高岡廃寺などの古代寺院跡や須恵器の窯跡といった高麗郡建郡以降の遺跡が数多く存在し、古代高麗郡の栄華を窺い知る事ができます。 高麗神社には12世紀(鎌倉時代)の「大般若経羅密多経」(国指定重要文化財)をはじめ、高麗神社本殿(県指定文化財)、 徳川将軍家社領寄進状(市指定文化財)といった有形文化財のほか、 10月19日の例大祭に氏子によって奉納される獅子舞(市指定文化財)も行われています。 また、高麗氏所属の文化財として17世紀の建築といわれる高麗家住宅(国指定重要文化財)、高麗氏系図(市指定文化財)があります。 平成14年5月 日高市 境内 案内板より
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