高麗山 聖天院 (しょうでんいん) 勝楽寺 Koma Shodenin Temple 武蔵野観音霊場第二十六番 27.Oct.2012 天空仙人の神社仏閣めぐり
「高麗山 聖天院 勝楽寺」 |
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「将軍標と山門」 | 「楼門」 |
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Shogun-hyo & Sanmon | Roumon |
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「中門」 | 「扁額」 |
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Chumon | Hengaku |
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「雷神像」 | 「風神像」 |
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Raijinzo | Fujinzo |
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「天下大将軍」 | 「地下女将軍」 |
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Tenka Daishogun | Chika Onna-shogun |
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「阿弥陀堂」 | 「阿弥陀如来像」 |
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Amidado | Amida-Nyoraizou |
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「仁王尊像」 | 「仁王尊像」 |
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Niousonzou | Niousonzou |
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「楽人」 | 「高句麗王若光像」 |
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Gakujin | Kokuriou Jakkozou |
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「高麗王廟」 | 「羊石像」 |
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Komaoubyo | Hitsuji-Sekizou |
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Koma Shodenin Temple
埼玉県日高市新堀990-1
46,Higashi-Tsuji,Anao,Sogabe-Cho,Kameoka-Shi,Kyoto
蛇氏(くちなわし) 汝も高麗の 遺臣かや(虚子) 【聖天院縁起】 聖天院は奈良時代に高句麗より渡来した高麗王若光の菩提寺として、侍念僧勝楽上人により天平勝宝3年(751年)に創建されました。 若光の守護仏聖天尊を本尊とし爾来600年間法相宗の道場でありましたが、貞和年間(1345年)中興秀海上人の代に真言宗に改宗されました。 天正年間(1584年)圓真上人により不動尊(胎内仏弘法大師御作)を本尊とし聖天尊を別壇に配祀し、現在に至っています。 江戸時代には高麗郡の本寺として、門末54箇寺を擁するほどの隆盛を誇り「院主の格式は諸侯に準ずる」とも記録されています。 平成12年(2000年)裏山山腹に7年の歳月を費やした総欅造りの新本堂が落成し、 両方山腹には在日韓民族無縁仏慰霊塔が在日有志の厚志により完成しました。 また、旧本堂跡地には中門、塀の建立・阿弥陀堂(足利時代)移設・庭園の拡張等の整備がなされ、平成年間に山容が一変しました。 高麗山 聖天院 〒350-1243 埼玉県日高市新堀990-1 拝観券より
聖天院の由来 続日本紀によれば、今から1,300年前高句麗滅亡によってわが国に渡来した高句麗人のうち甲斐、駿河、相模、上総、下総、常陸、下野7ヶ国の高句麗人1,799人を716年(霊亀2年)に武蔵国に移し、高麗郡を置きました。現在の日高市は、高麗郡の中心をなした地域と考えられ、1889年(明治29年)まで高麗郡でした。 高麗王若光は高麗郡の長として、広野を開き産業を興し民生を安定し大いに治績を治めました。 勝楽寺は若光が亡くなったあと、侍念僧勝楽が若光の菩提を祈る為に751年(天平勝宝3年)に建立しました。若光の三男聖雲と孫の弘仁が勝楽の遺志を継ぎ、若光の守護仏聖天尊(歓喜天)を本尊としました。 その後開山以来の法相宗を真言宗に改め、1580年(天正8年)には本尊を不動明王にしました。当代までに実に1,250年間絶えることなく継承されています。 2000年(平成12年)には、山腹に新本堂を建立し、同時期に在日韓民族無縁の慰霊塔を建立されました。 境内 案内板より
高麗山聖天院勝楽寺の由来と文化財 今からおよそ千三百年前高句麗滅亡によって我が国に帰化していた 人民のうち駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野七国の高句麗人1799人を元正天皇の霊亀二年(西暦716年)武蔵国に移し 高麗郡が置かれたことが続日本紀にみられる。 この高麗の地は郡の中心をなし明治29年まで高麗郡であった。 高麗王若光は高麗郡の長として広野を開き産業を興し民生を安定し大いに治績を収めた。 王は没後神に祀られ(現在の高麗神社)たがその侍念僧勝楽は王の冥福を祈るため一寺を建立として果たさず 天平勝宝三年示寂したのでその弟子弘仁は聖雲(王の第三子)とともに師の遺志を継ぎ寺を建て 師の遺骨を納めてその冥福を祈った。 その寺が高麗山聖天院勝楽寺である。 王が祖国から守護仏として持ってきた聖天歓喜仏を本尊と したので聖天院の名をもって広く知られている新義真言宗知山派に 属しかつては門末五十ヶ寺を擁した名刹で当代までに実に五十世法 燈は絶えることなく継承されている。 山寺は 新義真言 ほととぎす 虚子 日高市教育委員会 案内板より
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