大和国一之宮 大神神社(おおみわ じんじゃ)      Oomiwa Jinja Shrine  天空仙人の神社仏閣めぐり

大神神社 Official Page
大神神社 写真 大神神社 写真
「拝殿」「拝殿」
HAI-DENHAI-DEN
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大神神社 写真 大神神社 三輪明神扁額 写真
「参道」「三輪明神扁額」
SAN DO
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大神神社 写真 大神神社 写真
「拝殿」「帳」
HAI DENTOBARI
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大神神社 巳の神杉 写真 大神神社 三本杉 写真
「巳の神杉」「三本杉」
MI NO KAMISUGISUNBON-SUGI
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大神神社 注連縄 写真 大神神社 燈籠 写真
「注連縄」「燈籠」
SIME-NAWATOROH
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大神神社 写真 大神神社 夫婦岩 写真
「夫婦岩」
MYOTO IWA
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大和国一之宮 大神神社(おおみわ じんじゃ)

Oomiwa Jinja Shrine

奈良県桜井市大字三輪1422

1422,Miwa,Sakurai-Shi,Nara

TEL 0744-42-6633


大和国一ノ宮 三輪明神 大神(おおみわ)神社

御祭神 大物主大神(おおものぬしのおおかみ)

配 神 大己貴神(おおなむちのかみ)

    少彦名神(すくなひこなのかみ)

当神社は、秀麗な三輪山を神体山とする我国最古の神社で、元官幣大社、延喜式内の名神 大社二十二社の一社で、大和国一宮、全国各地に祭祀せられる大物主神の総本社でありま す。

大物主神は、大国主神の和魂(にぎみたま)(幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま) )で、大国主神が神代の昔、国造りに労せられたとき、その和魂が現れ、問答の後自らこ の三輪山に鎮まられたのであり、農工商等あらゆる産業を開発し、常に日常生活全般をお 守り下され、顕界(けんかい)・幽界(ゆうかい)を主宰(しゅさい)し給う和の大神で あります。

その御神徳は極めて広大であり、古事記・日本書紀・万葉集等の古典により明瞭に伺えま す。大和・河内・摂津はもとより、広く全国にわたって篤い信仰を集めています。

山麓には、崇神天皇から推古天皇に至る十三代の皇居遺跡があり、この地は当時の国道一 号線とも言うべき山の辺の道を動脈として、飛鳥以前四・五世紀頃の日本の政治経済の中 心をなしていました。

境内地は、現在古都保存法による歴史的風土三輪山特別地区及び国の史蹟に指定されてい ます。

三輪山  標高467メートル・周囲16キロメートル

     面積350ヘクタール

三ツ鳥居(国の重要文化財)

     明神鳥居三基を組合わせた独特の形式は、古来一社の神秘とされています。

拝 殿 (国の重要文化財)

     寛文四年(1664)四代将軍徳川家綱公改建

主な祭典

1月1日        繞道祭

4月8日〜10日    春の大神祭

4月18日       鎮花祭(本社及び狭井神社にて斎行)

6月17日       三枝祭(奈良市率川神社にて斎行)

10月23日〜25日  秋の大神祭

境内 案内板より


祭神 大物主大神(おおものぬしのおおかみ)

配祀 大己貴神(おおなむちのかみ)

少彦名神(すくなひこなのかみ)

当神社に祀る神、三輪の神、大物主神について、文献で最初に記述されるのは、我が国 最古の歴史書、『古事記』の上巻にあります。

それによれば、大国主神が、自分と協力して、ともに国造りに励んできた少彦名神がな くなられ、独りしてどうしてこの国を造ればよいか思い悩んでいた時、「海を光(てら )して依り来る神」があった。

その神が、「我がみ前をよく治めれば協力しよう」と申し出た。これに対し、大国主神 は、「お祭り申し上げる方法はどうしたら良いのでしょうか」と問うたところ、その神 は、「自分を倭(やまと)の青垣、東の山の上に斎きまつれ」と希望した。

その後に、「こは御諸(みもろ)の山の上に坐す神なり」と記されています。

つまり大和の国の周囲を垣のように取り巻いている青山のその東方の山上、三輪山にお 祭りした神が、三輪の神であり、これが大神神社ということであります。

続いて、同じ『古事記』中巻の神武天皇段に至って、三輪の神は「大物主神(おおもの ぬしのかみ)」であることが記されます。

また『日本書紀』には、同じ内容が書かれ、大国主神の別名である大己貴神(おおなむ ちのかみ)が、協力者の少彦名神(すくなひこなのかみ)がなくなられたので、嘆き悲 しんでいるところへ、海を照らしてやって来た神があり、この神は、大己貴神の「幸魂 (さきみたま)・奇魂(くしみたま)」であると言い、「日本国(やまと)の三諸山( みもろやま)に住みたい」と答える。

そして「この神が大三輪の神である」と記しています。

続いて『日本書紀』の崇神天皇8年に、大田田根子(おおたたねこ)が三輪君族の始祖 であり、三輪の神が大物主神であることが示されています。

更に、平安中期の法典であります『延喜式』の巻8、祝詞篇の「出雲国造神賀詞(いづ ものくにのみやつこかむよごと)」の中には、「己(おの)れ命(みこと)の和魂(に ぎみたま)を八咫(やた)の鏡に取り託(つ)けて、 (やまとのおおものぬしくしみか たまのみこと)と名を称えて、大御和(おおみわ)の神奈備(かんなび)に坐せ」とあ り、大物主神は詳しくは、と言い、大御和の神奈備(三輪山)にお祀り申し上げたこと が記載されています。

いずれも、大和の東方に独座していた三輪山に、大物主神を祀ったことが記載されてい ます。


由緒

遠い神代の昔、大己貴神(おおなむちのかみ)(大国主神(おおくにぬしのかみ)に同 じ)が、自らの幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)を三輪山にお鎮めになり、大 物主神(おおものぬしのかみ)(詳しくは(やまとのおおものぬしくしみかたまのみこ と))の御名をもってお祀りされたのが当神社のはじまりであります。

それ故に、本殿は設けず拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し、三輪山を拝するという、原初 の神祀りの様が伝えられており、我が国最古の神社であります。

大三輪之神(おおみわのかみ)として世に知られ、大神をおおみわと申し上げ、神様の 中の大神様として尊崇され、各時代を通じ、朝野の崇敬殊に篤く、延喜式内社・二十二 社・官幣大社として最高の待遇に預かり、無比のご神格がうかがわれます。


大神神社

大和盆地の東南に位置する三輪山は、高さ467m、周囲16km、面積350ha、 全山松・杉・檜に覆われ、古来より神の鎮まる山(神奈備山、三諸山)として抑がれて きた。大神神社は本殿は設けず、拝殿からその奥にある三ツ鳥居を通し三輪山を拝する という、我国原初の神祀りの様を今に伝えている。 このことと鎮座の由来が「日本書紀」・「古事記」等の古典にみえていることから、我 国最古の神社と称されている。

桜井市教育委員会 案内板より


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