奈良 新薬師寺(しんやくしじ)
     Shin-Yakushiji Temple
           8.Nov.2010 
              天空仙人の神社仏閣めぐり
奈良 新薬師寺 Official Page
奈良 新薬師寺 本堂
「奈良 新薬師寺 本堂」
Shin-Yakushiji Temple

奈良 新薬師寺 織田有楽斎の庭
「織田有楽斎の庭」

奈良 新薬師寺

奈良 新薬師寺 奈良 新薬師寺
「奈良 新薬師寺」
Shin-Yakushiji Temple
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奈良 新薬師寺 南門 奈良 新薬師寺
「南門」
Minami-mon
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奈良 新薬師寺 石灯籠 奈良 新薬師寺 東大寺実忠和尚の石塔
「石灯籠」「東大寺実忠和尚の石塔」
Ishi-DourouSekitou
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奈良 新薬師寺 鐘楼堂 奈良 新薬師寺 句碑
「鐘楼堂」「句碑」
ShoroudoKuhi
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奈良 新薬師寺 石仏 奈良 新薬師寺 石仏
「石仏」「石仏」
SekibutsuSekibutsu
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奈良 新薬師寺 奈良 新薬師寺 寅年守護神 真達羅大将 絵馬
「寅年守護神 真達羅大将 絵馬」
Shindara-Taishou Ema
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奈良 新薬師寺
「パワースポット

縁結びのハート石」

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奈良 新薬師寺(しんやくしじ)

Shin-Yakushiji Temple

奈良市高畑町1352

1352,Takabatake-cho,Nara-shi,Nara


新薬師寺抄

新薬師寺は聖武天皇眼病平癒祈願の為、天平十九年(747)勅願により光明皇后によって建立され、 新薬師寺の「新」は「あたらしい」ではなく「あらたかな」薬師寺という意味であります。

当時東大寺と共に南都十大寺の一つに数えられ、四町四方の境内に七堂伽藍甍をならべ住する僧一千人と記録にあります。

三十三年後の宝亀十一年西塔に落雷、瞬時にして炎上、現本堂のみが焼け残ったわけです。 当寺所蔵の重宝は建築、彫刻、絵画、工芸など各部門にわたって居り、時代も奈良時代より江戸時代に及んでいます。

春夏秋冬、桜よく萩よく、そのことさびた風情とともに憩いのひとときをお過ごしください。


建築

南門(鎌倉時代−重要文化財)

基壇は乱石積であって、その上にしっかりと大きい面取りのある四本の柱が立つ所謂る四脚門である。 この種の門としては鎌倉時代中期のどっしりした威厳があり、なかなか男振りがよい。

東門(鎌倉時代−重要文化財)

本柱の上が二つに割れ蟇股を挟んでいる様式は珍らしく、鎌倉初期の手法を示している。 武家の住宅の門としても被衣姿の女性が出入するにふさわしい雰囲気と気品をかもし出している。

本堂(奈良時代−国宝)

創建当初は食堂であったと思われる。二重基壇の上にしっかりと建ったその安定感、悠揚と青空に伸びる大棟の線、 太い柱と共に奈良朝入母屋建築の生粋である。 内陣は化粧屋根裏、その合掌は簡素で力強く、我が国最大のものである。

鐘楼(鎌倉時代−重要文化財)

弘安二年(1279)の棟札があり、袴腰は漆喰塗りの珍らしい作例である。 中の梵鐘(重要文化財)は天平時代の貴重なもので、日本霊異記にある道場法師鬼退治の釣鐘として名高い。

観音堂(元地蔵堂)(鎌倉時代−重要文化財)

方一間の小さな仏堂建築として、当期を代表するものである。 間斗束の位置にある蟇股は、その線巧妙優美で鎌倉期の秀逸である。 堂内には右側に薬師如来(室町時代)、左側に地蔵菩薩(室町時代)、中央に十一面観世音菩薩(室町初期)、 いづれも木造が安置され、特に左側の地蔵菩薩は庶民の安産の仏として信仰されていたようである。

石仏  奈良時代−室町時代

仏像

◎薬師如来坐像(平安前期−国宝)

一木彫成平安初期の代表作である。我々がこの仏の前に立つ時、いゝ知れぬ威圧と荘厳を感ずるであろう。 その肩から胸に流れる線は肉感的感覚さえおぼえさせる程見事である。 大きく見開いた切れ長の目、堂々たる体躯。将に密教精神の具現である。 古来より眼病耳病の仏として霊験あらたかであり、遠近より祈願参詣参籠する諸人今にたえないのもうなずけよう。 近年体内より法華経八巻が発見され、直ちに国宝に指定された。

◎十二神将(奈良時代−国宝)

奈良時代の建築の中に瑠璃光に照し出された十二神将は豪壮華麗である。 化粧屋根裏、合掌式とあいまってこの内陣の豪華さは日本の莫高窟と云っても過言でないだろう。 あるいは剣を持ち、あるいは矢を持って円形の須弥壇上に囲繞する十二神将は我が国最古最大のものである。 土の素材を生かして顔面の筋肉の起伏がデリケートに表現されている。一体がそれぞれ七千の眷族の大将であるから素晴しい。 宇宙の将星きら星の如くならぶ図である。 造立された当時は群青、緑、青、朱、金箔などで塗られ実に華麗なものであったろう。 ところどころに残るこれらの彩色で当時のさまをまのあたり偲ぶことができる。 十二神将は、えとの仏でもあり、初詣には毎年自己の守護神に家内安全、病気平癒、入学祈願などされる為に参詣する人も多い。(解説 中田聖観)


◎おたま地蔵尊(裸形)鎌倉時代

昭和五十九年本堂安置の景清地蔵尊(鎌倉時代)の胎内より裸形地蔵尊が発見され、 男性のシンボルをつけた我国最古最初の地蔵尊として一躍脚光を浴びる。 胎内より数多くの納入品も発見され、当時代の歴史の一部が鮮明に映し出され、興味ある尊像として注目される。 今は別棟香薬師堂に安置、安産・入学・健康の祈願仏として有識者に尊宗されている。(秘佛・希望により特別開扉)

◎法華経八巻(国宝) 近年本尊薬師如来(国宝)の胎内より、法華経八巻全巻が発見された。 これは我国国語資料にきわめて重大な法華経であるとして、ただちに国宝に指定された。

八巻の長さを合せると86mにもなり、全巻全部に万葉がなの「オコト点」(送りがな)が付されている珍らしいものであった。 即ち千百年前の法華経の訓読みが理解出来たということである。 これは国語史資料としての大発見であった。法華経に「オコト点」が付されている経典としては最古のものである。 新薬師寺縁起に「法華経全部八巻」が薬師如来腹内に納入されている、と記されていた経典がこれであつたわけである。 然もこの経典の筆跡は写経生の書体でないところをみると、きっと信仰の厚いお方の直筆であると思われる。 うす暗い本堂の中で千百有余年間沈思黙考されてきた本尊薬師如来は、益々その重みを加えられたようである。


SHlN-YAKUSHIJI TEMPLE

The Main Building

Shin-Yakushiji Temple was founded in 747 by the Empress Komyo (701-760), the pious consort of the Emperor Shomu, in order to offer ardent prayers for the recovery of her Imperial husband from an eye affection from which he was suffering. As all other buildings of the Tempyo Period (8th Century) have been destroyed by fire, this is the only building of that period in Japan kept in its original condition.

The temple is a fine achievement in engineering. All the timbers are perfectly fixed together and not a single timber is useless ; at the same time they have a decorative effect.

In comparison with temples built at a later period in Japan (when the style had become adapted to Japanese conditions), this 8th Century building shows much more clearly the distant influence of classical Greek temple architecture.

Many stylistic elements of Greek art reached the Far East along with Buddism.

The Grecian sanctuaries built of stone have been destroyed with the lapse of time, so it is surprising that a wooden building of Grecian style has been in Japan.

This temple is priceless hereditary cultural treasure of our country.

以上 新薬師寺 しおりより


大棟のやすらかな線を御覧下さい。

天平びとのおほらかな心を見る想いです。

1300年前大和を代表する建築(国宝)です。内陣にはづらり1200年前の我が国最古の十二神将12躯(国宝)も安置され、 近年に亦本尊薬師如来(国宝)の体内より光明皇后が信仰されていた法華経八巻全巻が発見され一層その歴史的事実に重みを加えました。

皇族の方々の御立ち寄りも再々です。

内陣は一寸外寺では見られない豪華な雰囲気です。東門、南門、地蔵堂、鐘楼はいづれも800年前重要文化財指定です。

当寺は又萩寺として万葉の萩も有名です。せっかく来られたのですから是非拝観されることをおすすめします。

門前 案内板より


国宝の薬師如来座像と十二神将立像は、やはりすばらしい。


十二神将

名称読み本地仏・尊生まれ年の

守護神

生まれ年の

守護神

宮毘羅大将

(金毘羅童子、宮比羅)

くびら

こんぴら

弥勒菩薩
伐折羅大将

ばさら勢至菩薩
迷企羅大将

めきら阿弥陀如来戌・亥
安底羅大将

あんちら

あんていら

観音菩薩

あじら

あにら

如意輪観音
珊底羅大将

さんちら

さんていら

虚空蔵菩薩丑・寅
因達羅大将

(帝釈天)

いんだら地蔵菩薩
波夷羅大将

はいら文殊菩薩
摩虎羅大将

まこら大威徳明王
真達羅大将

しんだら普賢菩薩辰・巳
招杜羅大将

しゃとら

しょうとら

大日如来未・申
毘羯羅大将

びから釈迦如来


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