興福寺(こうふくじ)
     西国三十三所観音霊場 第九番札所
       Kohfukuji Temple 
            天空仙人の神社仏閣めぐり
興福寺 Official Page
奈良 興福寺 猿沢池から五重塔を望む 写真 奈良 興福寺 東金堂 写真
「猿沢池から五重塔を望む」「東金堂」
Goju-no-toHigashi-kondo
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奈良 興福寺 南円堂 写真 奈良 興福寺 北円堂 写真
「南円堂」「北円堂」
Nanen-doHokuen-do
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奈良 興福寺 五重塔 写真 奈良 興福寺 五重塔 写真
「五重塔」「五重塔」
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奈良 興福寺 西国三十三所観音霊場 南円堂 写真 奈良 興福寺 西国三十三所観音霊場 南円堂 写真
「西国三十三所観音霊場

第九番札所

南円堂」

「西国三十三所観音霊場

南円堂

御詠歌」

Nanen-doGoeika
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奈良 興福寺 写真 奈良 興福寺 写真
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奈良 興福寺 写真 奈良 興福寺 写真
「帳」「絵馬」
TobariEma
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世界遺産 興福寺(こうふくじ)

Kohfukuji Temple

奈良市登大路町48

48,Nobori-ooji-cho,Nara-shi,Nara


興福寺の歴史

天智天皇8年(669)に藤原鎌足が造立した釈迦三尊像を安置するために、 夫人の鏡女王が京都山科の私邸に建てた「山階寺」を始まりとする。 その後飛鳥厩坂の地に寺を移し「厩坂寺」と称した。 都が平城京へ移されるに及んで、平城京左京三条七坊のこの地に移し「興福寺」と名付けた。 この創建の年を和銅3年(710)とする。その後天皇や泉后、 また藤原氏の人々の手によって次々に堂塔が建てられ整備された。 奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられた。 特に摂関家藤原北家との関係が深かったために手厚く保護され、寺勢はますますさかんになった。 平安時代には春日社の実権を手中におさめ、大和国を領するほどになった。 鎌倉・室町時代には幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任にあたった。 幕府による宗教政策が厳しかった江戸時代には21000余石の朱印が与えられた。 明治時代初めの神仏分離令・廃仏毀釈・社寺上地令などで興福寺は荒れたが、その後の努力で復興し、 新しい興福寺の歴史を刻んでいる。

興福寺の宗教

法相宗の大本山。法相宗は別名を唯識宗ともいう。 西遊記で知られる中国唐の玄奘三蔵がインドから伝えた唯識論を弟子の慈恩大師が大成した。 日本には何度か伝えられたが、興福寺の法相宗は奈良時代に玄防が伝えた。 解深密経を本源とし、瑜伽論に所依し、唯識論を宗学とする。


五重塔(国宝)

天平2年(730)に光明皇后によって創建された。現在の塔は応永33年(1426)に再建された日本第2 位の高塔(50.1m)だが、猿沢池畔から見上げる雄姿は古都奈良が誇る絶妙の風景。 初層内陣には薬師三尊像(東)、釈迦三尊像(南)、阿弥陀三線(西)、弥勒三尊像(北)を安置。

北円堂(国宝)

養老5年(721) に元明・元正天皇によって藤原不比等の1周忌に創建された。 現在の建物は承元4年(1210)頃の再建。 堂内には本尊弥勒如来像(国宝)、法苑林・大妙相菩薩像、無著・世親菩薩像(国宝)、

四天王像(国宝)が安置されている。春と秋の特別の期間だけ公開される。 (会期は毎年変るのでお問い合せ下さい。)

南円堂(重要文化財)

西国三十三所観音霊場第九番札所。弘仁4年(813)に藤原冬嗣が父内麻呂のために創建した。 現在の建物は寛保元年(1741)に立柱され、宝暦12年(1762)に瓦が作られた。 堂内には本尊不空羂索観音像 (国宝)、四天王像(国宝)を安置。毎年10月17日に特別開扉。

一言観音堂

一言観音像を安置する。観世音菩薩の名号を一言心から唱えると必ずかなえて下さる観音様として畿内 はじめ広範な信仰を集める。

不動堂

悪しきことを打破る仏様の使者である不動明王像を安置する。毎月1、15、28日に護摩祈祷が行われる。

三重塔

崇徳天皇の中宮皇嘉門院藤原聖子が康治2年(1143)に創建。現在の建物は鎌倉時代初期の再建。 初層内陣には薬師如来(東)、釈迦如来(南)、阿弥陀如来(西)、弥勒如来(北)を各千体づつ極彩色で描く板絵がある。 また東面には弘法大師が勧請したと伝える窪弁才天と十五童子像を安置。 毎年7月7日に特別開扉。

大湯屋(重要文化財)

寺のお風呂で、内部には大きな鉄の湯釜が2基ある。 室町時代中頃の再建。東が切妻、西が入母屋の屋根を持つ建物である。

菩提院大御堂

「十三鐘」の俗称で知られ、稚児観音や三作石子詰の話を伝える。 奈良時代にはすでに建物が建てられていたが、 現在の建物は天正8年(1580)頃の再建。 堂内には阿弥陀如来(重要文化財)、不空調索観音像、稚兒観音像を安置。


西国三十三所観音霊場 第九番札所 興福寺南円堂 御詠歌

春の日は南円堂にかがやきて 三笠の山に晴るるうす雲


南円堂

西国三十三所第9番札所として人々のお参り賑わう南円堂は、弘仁4年(813)藤原冬嗣が父内麻呂追善のために建立し、 鎮壇には弘法大師空海が関わったと伝えられています。 興福寺は藤原氏の氏寺でしたが、藤原氏の中でも「北家」が隆盛し、 北家ゆかりの南円堂は興福寺伽藍の中でも特殊な位置を占めています。 藤原氏の氏神・春日社との関係により、特に不空羂索観音菩薩は藤原氏の信仰を集めました。 現在の南円堂は創建以来4度目の建物で、寛保元年(1741)に立柱。 平成8年(1996)には平成大修理が行われました。 わが国最大の八角円堂とされています。


北円堂

八角円安は廟堂としての意味を持つ。北円堂は養老4年(720)に亡くなった藤原不比等の菩提のために、 元明太上天皇と元正天皇が建立を発願し、長屋王に命じて一周忌にあたる翌年の8月3日に完成した。 その後、永承4年(1049)の火災で焼失し、治承4年(1180)の平重衡による南都焼討でも失われ、 承元4年(1210)に復興。嘉暦2年(1327)と享保2年(1717)の大火の時には難を逃れ、 現在、興福寺伽藍に残る堂宇の中では最も古い。


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