二本松 大隣寺(にほんまつ だいりんじ) Nihonmatsu Dairinji Temple 1.May.2008 天空仙人の神社仏閣めぐり
「二本松少年隊の墓」 |
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「二本松 大隣寺」 | 「二本松 大隣寺」 |
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Nihonmatsu Dairinji | Nihonmatsu Dairinji |
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「御霊屋」 | |
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Mitamaya | |
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Nihonmatsu Dairinji Temple
福島県二本松市成田町1丁目532
1-532,Narita-machi,Nihonmatsu-shi,Fukushima
曹洞宗 巨邦山 大隣寺 二代丹羽長重公は、初代長秀公の菩提を弔うため、寛永4年(1627)、 越前国の融法全祝大和尚を招き、白河の地に大隣寺を建立した。 融法全祝大和尚は、越前総光寺三世雪山どん秀禅師を開山として迎え自から二世となる。 寛永20年(1643)、三代光重公は白川より二本松へ国替となり、同年冬には大隣寺も当地に移り、 二本松藩主歴代の菩提寺となった。 寺領は百石余、その後、方角などの理由から城下内において二度移転し、現在地へ移った。 伽藍は数度となく改築や改修が行われたが、文化8年(1811)の大改築によって現有の本堂ができた。 戊辰の役直後には、二本松藩庁の仮事務所や藩校などにも使用された。 寺号は、初代長秀公の法名「総光寺殿大隣宗徳大居士」の大隣に由来し、寺紋には丹羽家の家紋「違棒」を用いている。 境内には、歴代藩主の霊廟、丹羽家の位牌堂である御霊屋、戊辰の役で幼い命を散らした二本松少年隊の墓がある。 また、延命子安地蔵菩薩や十二支守本尊が安置されており、両国三十三観音を祭った霊場観音山と共に信仰を集めている。
二本松少年隊の墓
慶応4年(1868)7月26日、三春藩の突然の降伏により二本松藩の横腹を突く形となった西軍は、 潮の如く二本松城下に迫りつつあった。 そのため藩は止むなく少年隊の出陣を命じることとなり、12歳から17歳までの62名が緊急に各隊に配属され、西軍との応戦体制に入った。 29日朝、隊長木村銃太郎・副隊長二階堂衛守の率いる少年隊士25名が出陣した大壇口で戦闘が開始された。 少年隊の放つ速撃弾は次々と命中、大いに西軍を悩ましたが、 多勢に無勢、新式銃を具備した西軍を前に徐々に戦況は悪化し、ついに隊長が敵弾に倒れ、 戊辰戦争中最大の激戦、大壇口の戦いは終焉を告げた。 その後、少年隊士は各々果敢に戦いを続け、敵弾に倒れ、また返り討ちにあい、計14名の戦死者を数えた。 時代の流れとはいえ、維新の夜明けを前に義に殉じた純粋にして可憐な少年達、 会津白虎隊に優るとも劣らない壮烈な戦死を偲び、その忠魂を讃え、心から冥福を祈る参詣者が今も絶えない。 隊長・副隊長と14名の少年隊士の魂がここに眠る。 境内 案内板より |
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