御室 仁和寺(おむろ にんなじ)
     Omuro Ninnaji Temple
         22.April.2000
                 天空仙人の神社仏閣めぐり
仁和寺 Official Page

仁和寺の桜


御室 仁和寺 二王門 写真 御室 仁和寺 参道 写真
「二王門」「参道」
Niou-monSando
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御室 仁和寺 写真 御室 仁和寺 写真
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御室 仁和寺 金堂 写真 御室 仁和寺 観音堂 写真
「金堂」「観音堂」
Kon-doKannon-do
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御室 仁和寺 御影堂 写真 御室 仁和寺 鐘楼 写真
「御影堂」「鐘楼」
Miei-doShoroh
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御室 仁和寺 写真 御室 仁和寺 五重塔 写真
「五重塔」「五重塔」
Gojyu-no toGojyu-no to
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御室 仁和寺 御室桜と五重塔 写真 御室 仁和寺 御室桜 写真
「五重塔と御室桜」「御室桜」
Omuro-ZakuraOmuro-Zakura
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御室 仁和寺 鐘楼と御室桜 写真 御室 仁和寺 鐘楼と御室桜 写真
「鐘楼と御室桜」「鐘楼と御室桜」
Omuro-ZakuraOmuro-Zakura
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御室 仁和寺 写真
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御室 仁和寺(おむろ にんなじ)

Omuro Ninnaji Temple

京都府京都市右京区御室大内33

33,Omuro-Oouchi,Ukyo-Ku,Kyoto


仁和寺略記

仁和2年(886)第58代光孝天皇は、都の西北大内山の麓に「西山御願寺」という一寺の建立を発願された。

天皇は翌年崩御されたが、次の宇多天皇が先帝の意志をつがれ、仁和4年(888)にこの寺が創建され、 年号をとって「仁和寺」と命名された。宇多天皇は在位10年、寛平9年(897)醍醐天皇に譲位、 2年後に出家得度され、わが国最初の「法皇」となられた。 さらに延喜4年(904)には、仁和寺の中に法皇の御所である「御室(おむろ)」を建立され、 承平元年(931)崩御されるまで、27年の間ここに住まわれたのである。

仁和寺の住職は「門跡(もんぜき)」と呼ばれている。「門」とは天皇を指し、宇多法皇から、 慶応3年(1867)勅命によって退任された小松宮まで30代、およそ千年の間、仁和寺は皇室の寺院として知られるところとなった。

応仁2年(1468)兵火により全てが焼失、その後、双が丘の西麓に仮御所を設け法灯を護持していた。

仁和寺第21世覚深法親王(1588〜1648)が三代将軍徳川家光に、仁和寺再興の申し入れを行い、約180年後再建されることとなった。

この時、御所から紫宸殿、清涼殿、常御殿、などが仁和寺へ移され、山門、中門、五重塔、観音堂などは新築された。 仁和寺再建は、正保3年(1646)に完了した。

ところが、明治20年(1887)5月、火災により、仁和寺御殿を構成する大部分を焼失した。

明治23年(1890)に、現在の白書院などが建てられ、明治42年(1909)から本格的な再建が開始され、 京都府技師亀岡末吉氏の全く新しい構想によって大正3年(1914)に完成をみた。

今日、金堂をはじめとする多くの建物は、国宝や重要文化財に指定されている。 また、仁和寺の伽藍と御殿は、昭和12年(1937)史蹟名勝記念物保存法により、「史蹟仁和寺御所址」に、 境内の桜は「名勝御室桜」にそれぞれ指定されている。 さらに、平成6年に国連の「世界文化遺産」に登録された。

なお、仁和寺は、真言宗御室派の総本山として、また、御室流華道家元としても知られている。


仁和寺

真言宗御室派の総本山で、平成6年(1994)に世界文化遺産に登録された。

平安時代前期に光孝天皇が創建に着手した後、仁和4年(888)に宇多天皇が完成させ、仁和寺と名付けた。 宇多天皇は退位の後、出家して、仁和寺内に僧坊を営み、30余年間修行に専心したため、 法皇が御座する室(僧坊)ということから「御室」が後に仁和寺周辺の地名となった。

以後、明治維新まで約千年間、皇子皇孫が門跡として法燈を伝えたが、その間、応仁の乱の戦火で全伽藍を焼失し、 双岡西麓に仮御所をもうけた時期もあった。

現在の伽藍は、江戸時代初期に徳川家光の協力を得て再建されたもので、御所の紫宸殿を移して金堂(国宝)をはじめ、 御影(みえ)堂・観音堂・鐘楼・五重塔・経蔵・二王門(いずれも重要文化財)などは当時の建物である。 仁和寺境内は仁和寺御所跡として史跡に指定されている。  

西門から成就山の麓にかけて、四国八十八ヶ所霊場を縮小した「御室八十八ヶ所巡りの霊場」があり、 中門の左手には、遅咲きの桜の名所として有名な「御室(おむろ)の桜」(名勝)が見られる。

京都市 案内板より


仁和寺 旧御室御所・世界遺産

仁和寺の創建は平安時代、第58代光孝天皇が西山御願寺として着工したのに始まる。 仁和4(888)、宇多天皇が先帝のご遺志を継がれ、仁和寺を完成されました。 宇多天皇は、退位後、出家して仁和寺を住坊にされ、30余年もの間、真言密教の修行に励まれました。 以来、明治維新まで皇子皇孫が仁和寺の門跡となられ、仁和寺は御室御所と呼ばれ親しまれてきました。

広大な境内は御室御所跡として史跡に指定され、国宝、重文の伽藍が配されています。 宝物も国宝、重文を多く有し、また、御室流華道の家元として、いけばなを通じ文化の向上にも貢献しています。

現在、仁和寺は真言宗御室派の総本山であり平成6年に国連の世界遺産に登録されました。

パンフレットより


名勝御室桜

中門を入ると左手に、湧き上がる雲のような御室桜が目に飛び込んできます。

御室桜の特徴は樹高が低く、根元より単弁の香りの高い白花を咲かせることです。

開花は4月20日前後と遅く、京都の春の終わりを飾ります。品種は大半が有明で、他には車返し、 欝金(うこん)など十数種類の里桜があり、境内に二百余株植えられています。 起源は古く、平安時代にまでさかのぼりますが、現在のものは江戸時代初期に植えられたもので、大正13年に名勝に指定されています。

拝観券 より


三弘法まいり

三弘法とは、弘法大師空海とゆかりの深い、東寺、仁和寺、神光院の三つの寺のことを指します。 三弘法まいりと呼ばれる風習は江戸中期にはじまったとされ、三弘法を正月の三日間(松の内)にお参りすれば、 一年中の厄を逃れることができるとの信仰です。 また、弘法大師空海の縁日(毎月二十一日)に巡礼するという習わしもあります。

さらに、四国八十八ヶ所霊場に詣る人が道中安全の祈願を行う風習もありました。 東寺では管笠、仁和寺では金剛杖、神光院では納札箱を授かり、 それらを身につけて四国での遍路修行が行われていました。 お大師様は衆生救済を絶対の御願となされていました。 社会が混迷を深める現代、その御教えが人々に必要とされています。 今こそ、三弘法を巡拝し、お大師様の心と御教えに触れ、 そして「同行二人  お大師様がいつも一緒に歩んでくださっていること」を実感していただければ幸いです。 歴史と文化のかおり漂う京都の街で心を清めてください。


大内山 仁和寺

真言宗御室派の総本山。第59代宇多天皇が、先帝である光孝天皇の遺志を継ぎ、仁和4年(888年)に建立。 寺名は元号から仁和寺となりました。 宇多天皇が、仁和寺第1世寛平法皇となってからは、明治時代まで皇子皇孫が代々門跡(住職)を務めた格式高い寺院であります。

裏山の成就山には、四国八十八ヶ所霊場から持ち帰ったお砂を埋めた上にお堂を建てた、 御室八十八ヶ所霊場があります。 参拝道は自然にあふれ、京都の四季の移り変わりを感じられ、約3kmのコースとなっています。

三弘法まいり パンフレットより


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