石川 那谷寺(なたでら)    Natadera Temple    20.JULY.2003           天空仙人の神社仏閣めぐり

那谷寺 Official Page
那谷寺 山門 那谷寺 大悲閣拝殿
「山門」「大悲閣拝殿」
Sanmon GateDaihikaku
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那谷寺 大悲閣拝殿 那谷寺
「大悲閣拝殿」
Daihikaku
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那谷寺 奇岩遊仙境 那谷寺 奇岩遊仙境
「奇岩遊仙境」「奇岩遊仙境」
Kigan YusenkyoKigan Yusenkyo
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那谷寺 三重塔 那谷寺
「三重塔」
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那谷寺 金堂華王殿 那谷寺
「金堂華王殿」
Kondo Kaouden
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那谷寺 那谷寺 鎮守堂
「鎮守堂」
Chinjudo
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那谷寺 獅子 那谷寺 唐獅子
「獅子」「唐獅子」
ShishiKara-Jishi
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那谷寺  寺紋 十六菊中桔梗 那谷寺 般若心経絵馬
「門帳 寺紋 十六菊中桔梗」「般若心経絵馬」
Ema
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那谷寺 わらじ絵馬 那谷寺 金剛力士像
「わらじ絵馬」「金剛力士像」
a votive picture of straw sandalsKongo Rikishizo
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那谷寺 芭蕉句碑
「芭蕉句碑」
BASHO's a slab with a haiku cut on it
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松尾芭蕉は、「奥の細道」道中の元禄2年(1689)7月、門人・曾良とともに

山中温泉を訪ねた8月5日、曾良と別れ、金沢の門人・北枝とともに那谷寺を訪れ、

「奇岩さまざまに、小松植えならべて・・・殊勝の地なり」と綴っている。

「石山の 石より白し 秋の風」


那谷寺 (なたでら)

Natadera Temple

石川県小松市那谷町ユ122

Yu122,Nata-Machi,Komatsu-Shi,Ishikawa


那谷寺は、十一面千手観音、白山妙理大権現、自然の岩山洞窟を本尊とする寺院で、もとより神仏ともに祀ってきた。

本殿は岩窟内にあり、古代より人の魂の輪廻転生の場、禊再生、胎内くぐりの聖地にあり、生きとし生けるものは、 自然より生れ自然に帰るとの教えを大切にし、寺境内を心を癒す天然の道場とし た。

泰澄は吉野山中より自然智の教えをもたらし、奈良時代初めの養老元年(717)に岩屋寺を開山する。

那谷寺とは平安時代の天皇・花山院の改名による。花山院は晩年しばしば住し、観音浄土補陀落の山の如き庭をつくる。

中世、兵乱により堂塔はことごとく焼失。ほとんどの建物は江戸時代の寛永17年(1640) 加賀藩主前田利常の寄進によるもので、現在七棟の国重要文化財建造物と名勝指定園がある。


那谷寺の由来

那谷寺は白山信仰の寺で、養老元年(717)越の大徳泰澄神融禅師によって開創されました。

禅師は夢にみられた十一面千手観世音菩薩のお姿を自らお造りになり、洞窟内に安置し、白山開拓の鎮守神とされました。 そして、この地にお堂を建立され、自生山岩屋寺と名づけられたのであります。 その後、寛和二年(986)に西国三十三番札所を開かれた花山法皇がこの地に御幸なされし折(おいでになった時)、 洞窟内の観音様を拝せられ、”わが国には珍しき岩窟“霊夢のお告げにより「これ全く観音妙智力の示現なり、 朕が求むる三十三ケ所は全てこの山にあり」と申され、 西国三十三ケ所第一番紀伊の那智山と、第三十三番美濃の谷汲山の各一字をとって那谷寺と改め、 七堂伽藍を御造営なされ、自ら、この地に居を構えられました。 往時は寺院二百五十ケ坊に及ぶ隆盛を極めましたが、延元三年(1338)南北朝の争い、文明六年(1474)一向一揆により坊舎が焼きつくされました。

しかし寛永年間(1640)、加賀藩主前田利常公がその荒廃を嘆き、後水尾天皇の勅命を仰ぎ、 岩窟内本殿、拝殿、唐門、三重塔、護摩堂、鐘楼、書院等を再建、境内の一大庭園を復興され今日の御祈願所とされました。 こうして那谷寺は森の中の自然の曼陀羅の寺院として、今も大切に守られております。


観音さまについて

観音さまは、仏さまの下部としてかしずきながら、しかも、自ら清くあって全ての、人々の母親の ことく、自他の隔てのない、大いなる愛で人々の苦悩を救わんとする大誓願をお持ちです。

私たちは生きているうちに、大きな悩みや苦しみを伴う弱い存在です。だからこそ、合掌し祈るの です。そして、自分の至らぬところを懺悔すれば、救いを下され、私たちの内に菩薩の心を与えて 下さいます。


内拝のご説明

@参道

昭和新築の山門をくぐると、ほの暗い参道がつづきます。苔むした庭と椿の並木、江戸時代の石燈 篭が歴史を刻み、加賀三代藩主前田利常公が植樹された、小松から那谷寺にいたる御幸街道杉の一 部であった古杉が林立します。

A金堂 華王殿

御本尊は十一面千手観音、白山曼陀羅、泰澄神融禅師、中興花山法皇を安置し、那谷寺の年中仏事 祈祷は全てこのお堂で行われています。金堂は六百五十年前に焼失したのを、山岳自然信仰の復興 を願って平成二年再建されました。

B庫裡書院(重要文化財)

寛永十四年改築(1637)の建物。利常公自らこの書院に住し、山上善衛門、後藤祐乗等を使っ て、諸堂の再興にあたったと言われます。玄関は土天井、南面二間は仏間兼対面の間、東には装束 の間、北は利常公御成の間です。

C三尊石琉美園(名勝指定園)

阿弥陀三尊のような自然大岩壁を中心に、深山幽谷の神仙境をあらわした琉美園と、西側には寛永 年間(1640)、前田利常公の命により別部卜斎が作庭した寺院茶庭があり、ともに苔に被われ た幽遠な庭です。

D普門関

白山麓春木家を移築。旧新保村に春木家が道場を開き、後、永平寺再逢に当たった棟梁が弘化四年 (1847)、三年の歳月を費やして完成。その雄大さは北陸随一と言われています。

E奇岩連仙境

観音浄土補陀落山を思わせるこの天然公園は、現世のパラダイスとして大切にされてきました。太 古の噴火の跡と伝えられ、長い年月の間、波に洗われ今日の奇岩が形成されました。

F大悲閣拝殿、唐門、本殿(重要文化財)

観世音菩薩の慈眼視衆生の大慈悲心の御誓願により、大悲閣と名づけられました。岩窟中腹に建て られ、四棟舞台造り、四方欄間に浮き彫りが施され、鹿、鳳凰、鶴、松、竹、梅、橘、紅葉などの 花鳥が配されています。唐門は岩窟入口、本殿は岩窟内にあり、厨子に那谷寺御本尊十一面千手観 世音菩薩が安置されています。

G三重の塔(重要文化財)

大悲閣西南の山上にあり、方三間三層で、扇垂木を使用。四方の壁面は唐獅子の二十の行態や牡丹 の彫刻が施されており、内には、元金堂にあった鎌倉時代の作、胎蔵界大日如来を安置してありま す。なお山上鎮守堂よりの眺望は境内一の絶景です。

H楓月橋、鎮守堂

展望台に至る橋、楓月橋から奇岩遊仙境の眺望は境内で最も美しい。上に白山妙裡大権現鎮守堂が 建つ

I芭蕉句碑

  石山の 石より白し 秋の風々

元禄二年八月五日、那谷寺を参拝された俳聖芭蕉は、奥の細道の記にこの名句を残しました。

J護摩堂(重要文化財)

壁面には沈思、柔和、昇天、凝視、観悦、雅戯、問答の八相唐獅子及び牡丹の彫刻があり、内陣に は平安時代作の不動明王が安置されています。

K鐘楼堂(重要文化財)

入母屋造りの和様建築で、袴腰の上まで石造です。内には寛永時代、朝鮮より請来した名鐘を吊る してあります。


四季の那谷寺の自然は美しくやさしい。

青苔の上にあざやかに 椿 石楠花 のはな。

  あるいは 紅葉散りしきて 雪もおおう。

高嶺の白き神々のおりるところ 遊仙境。

うつしよと 常世が混沌とした補陀落浄土

いきいきとして 森の精霊達が語りかける。

幾星霜を経た境内は ときおり静寂に包まれる

そのとき私達が忘れてしまった往古のことを。

 そして悠久の歩いてきた道を思い出す。

人は緑樹の影やせせらぎの音とは なじみ深い。

木の葉がくれの小堂や 白き岩山をのぞめば。

いつかは観音菩薩の無言の説法も聞こえる。

那谷寺 パンフレットより


那谷寺由来

那谷寺は泰澄神融禅師により養老元年(717年)に開創された神仏ともに祀る寺院で、十一面千手観音、白山比盗_、自然奇岩遊仙境を本尊とします。

泰澄は吉野山より自然智の教えを当地にもたらしました。当初岩屋寺と号し、生きとし生ける全てのものの大自然こそ神とし、 白山やその自然神を拝みながら共生する世界を大切にする此の世の浄土をつくりました。

那谷寺とは花山法皇(986年)の改名によります。花山院は此の寺に晩年しばし住して、観音浄土補陀落山の如き庭園として境内整備をいたしました。

中世、兵乱により境内の堂宇はことごとく焼失、ほとんどの建物は寛永年間(1640年)加賀藩主前田利常の寄進によるものであって、七棟の国重要文化財建造物と名勝指定園が在ります。

境内 案内板より


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