京都 革堂 行願寺(こうどう ぎょうがんじ)
     西国三十三ヶ所観音霊場 第十九番札所
       Koudou Gyogan-ji Temple 
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革堂 行願寺

都七福神

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「本堂」
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革堂 行願寺 写真 革堂 行願寺 加茂明神塔 写真
「加茂明神塔」
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革堂 行願寺 壽老神堂 写真 革堂 行願寺 壽老神像 写真
「壽老神堂」「壽老神像」
Juroujin-doJuroujin-zoh
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革堂 行願寺 百体地蔵尊 写真 革堂 行願寺 百体地蔵尊 写真
「百体地蔵尊」「百体地蔵尊」
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革堂 行願寺 鎮宅霊符神 写真 革堂 行願寺 鎮宅霊符神 写真
「鎮宅霊符神」「鎮宅霊符神」
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革堂 行願寺 都七福神 写真 革堂 行願寺 都七福神 写真
「都七福神」「都七福神」
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革堂 行願寺(こうどう ぎょうがんじ)

西国三十三ヶ所観音霊場 第十九番札所

Koudou Gyogan-ji Temple

京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町17

17,Gyoganji-monzencho,Teramachi-dori-Takeyamachi-agaru,Nakagyou-ku,Kyoto


革堂(行願寺) 

霊鹿山行願寺と号する天台宗の寺院で、西国三十三所観音霊場の第十九番札所である。

寛弘元年(1004)に行円(ぎょうえん)上人によって、一条小川(上京区)に創建され た。子を孕んだ母鹿を射止めてしまったことを悔いた上人が、常にその皮をまとって鹿を憐 れみ、人々から皮聖(かわひじり)とも呼ばれていたことから、この寺も革堂と呼ばれるよ うになったといわれている。

以後、人々からの厚い信仰を受け、町堂として大いに栄えたが、度々の災火により寺地を 転々とし、宝永5年(1708)の大火の後、この地に移された。

現在の本堂は、文化12年(1815)に建てられたもので、堂内には行円上人の作と伝え られる本尊千手観音像を安置している。

境内には、都七福神巡りの一つになっている寿老人神堂をはじめ、愛染堂、鎮宅霊符神堂、 加茂明神塔などがある。 また、宝物館には、若い女性の幽霊が描かれている幽霊絵馬が展示されている。

京都市 案内板より


西国三十三ヶ所観音霊場 第十九番札所 革堂 行願寺 御詠歌

【御詠歌】 花を見て いまは望みも 革堂の 庭の千草も 盛りなるらん

一条、後一条天皇の勅願。一条帝寛弘2年開山行円上人、牝鹿を射殺して、無常を感じ 仏門に入り、射殺せし牝鹿の革を着し、頭陀を行じて遂に寺を建立す。故に上人を革聖、 寺を革堂と曰ふ。

本尊は加茂明神の神告により、神木を得て八尺の尊像を開山自らの彫刻に依り安置す。

御本尊 千手観世音菩薩


寛弘2年(1005)行円上人は若年気性あらく、狩猟を好んだが、ある時身籠もった 牝鹿を射止め、その親鹿と共に死んだ仔鹿の悲惨な最後を見て自らの行為を恥じ仏門に 入った。そしてその牝鹿の革を衣にして千手陀羅尼を誦しながら市中を行し、一条、後 一条の勅願を得て堂宇を建立した、よって上人は革聖、寺は革堂と呼ばれた。

本尊は加茂明神の神告によって槻の巨木で彫刻されたものという。


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