京都 御香宮(ごこうのみや) Gokounomiya Shrine 天空仙人の神社仏閣めぐり
「御香宮 拝殿」 |
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Gokounomiya Shrine |
「本殿」 | 「表門」 |
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Honden | Omotemon |
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「御香水」 | |
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Gokousui | |
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「五三桐」 | |
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「鯉の滝登り」 | 「琴高仙人が鯉に跨って滝の中ほどまで昇っている」 |
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「中国二十四孝 楊香(ようきょう)」 | 「中国二十四孝 郭巨(かくきょ)」 |
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「中国二十四孝 唐夫人」 | 「中国二十四孝 孟宗」 |
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「獅子の?股(かえるまた)」 | 「伏見義民事蹟」 |
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Gokounomiya Shrine
京都市伏見区御香宮門前町
Gokounomiya-Monzen-cho,Fushimi-ku,Kyoto-shi,Kyoto
御香宮神社 御祭神は神功(じんぐう)皇后、仲哀(ちゅうあい)天皇、応神天皇など九柱を祀る。 社伝によれば、貞観4年(862)境内から清泉が湧き出て、その香気が漂い、 その水を飲むとたちまち病が癒えたので、「御香宮」を賜った。 以後、伏見の産土神として人々の信仰を集めたが、度々の兵乱や天災により荒廃した。 文禄年間(1592〜96)豊臣秀吉は、当社を伏見城内に移し、鬼門の守護神としたが、 慶長10年(1605)徳川家康により旧地である当地に戻され、現在の本殿(重要文化財)が建立された。 表門(重要文化財)は、旧伏見城の大手門と伝えられている。 宝物として、秀吉の寄進した金熨斗付太刀(きんのしつけたち)(重要文化財)を蔵する。 境内には、伏見義民文殊九助らの顕彰碑がある。 毎年、10月の神幸祭は、伏見祭・花傘祭とも呼ばれ、神輿や花傘、獅子などが出て、盛大に行われる。 境内 京都市 案内板より
伏見義民事蹟 天明5年(1785)、時の伏見奉行小堀政方(まさみち)の悪政を幕府に直訴し、伏見町民の苦難を救い、 自らは悲惨な最期を遂げた文殊九助ら7人を伏見義民という。 江戸時代(1603から1867)伏見は交通の要衝として栄え、政治・経済上重要な地であったため、 幕府の直轄地として奉行所が置かれた。 安永8年(1779)に奉行となった小堀政方は数々の悪政を行い、住民に対する苛斂誅求は言語に絶するものがあった。 文殊九助、丸屋九兵衛、麹屋伝兵衛、伏見屋清左衛門、柴屋伊兵衛、板屋市右衛門、焼塩屋権兵衛の7人は、 奉行の悪政に虐げられた住民の苦難を坐視するに忍びず、苦心惨憺の末、天下の禁を破って幕府に直訴した。 このため、天明5年(1785)政方は奉行を罷免されたが、九助ら7人も獄中で相ついで病死した。 この碑は明治20年(1887)に建てられたもので碑文は勝海舟の撰、題字は三条実美の書である。 毎年5月18日には伏見義民顕彰会によって慰霊祭が執行される。 境内 京都市 案内板より
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