高野山 総本山 金剛峯寺(こんごうぶじ) Koyasan Kongobuji Temple 天空仙人の神社仏閣めぐり
「山門」 | 「金剛峯寺」 |
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SAN-MON | KONGOBU-JI |
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「額」 | 「別殿内部」 |
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GAKU | BETSUDEN NAIBU |
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「紅葉」 | |
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MOMIJI | |
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「蟠龍庭」 | 「曼陀羅」 |
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BANRYU-TEI GARDEN | MANDARA |
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「金堂」 | 「根本大塔」 |
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KON-DO | KONPON DAI-TO |
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「西塔」 | 「六角経蔵」 |
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SAI-TO | ROKKAKU KYOZO |
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「御影堂」 | 「蓮池」 |
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MIEI-DO | HASU IKE |
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「参道」 | 「御廟橋」 |
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SANDOH | GOBYO-BASHI |
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「燈籠堂」 | 「燈籠堂」 |
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TORO-DOU | TORO-DOU |
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「豊臣家墓所」 | 「水向地蔵」 |
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TOYOTOMIKE BOSHO | MIZUMUKI JIZOH |
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「宝来 寿」 | 「宝来」 |
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「宝来 如意宝珠」 |
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和歌山県伊都郡高野町高野山
Koyasan,Koya-Cho,Ito-Gun,Wakayama
TEL:0736-56-2011
霊場 高野山 高野山は弘法大師(空海上人)が嵯峨天皇の弘仁7年(816)真言密教の根本道場として定められ、 国の平和を祈り国民に安らかな生活の道を伝え、併せて末徒の修禅観法のため、 また自らの入定の地とする崇高な目的をもって開創せられた。 海抜900mの高峰上にある総面積百十余ヘクタール(33万坪)の一大盆地である。 山の姿は四仏四菩薩を象徴したといわれる内八葉・外八葉の峰々に囲まれ、 さながら八葉蓮台の形をなしている。 この山は開創以来壱千百八十余年に亘って、一般庶民の強い信仰と支持を集め、 宗派にとらわれず、あらゆる階層の人々の心の憩いの場として、或いは魂の安息所として発展し、 今日の如き一大仏都をなすに至ったのである。年々歳々この聖地に杖をひく人々は百万を越える。
総本山 金剛峯寺 金剛峯寺の名称は弘法大師が、金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祗経の深意を象徴するものとして命名されたもので高野山一山の総称であった。 この寺は文禄2年(1593)豊臣秀吉が亡母の菩提のため建立、更に文久」3年(1863)再建されたのが現在の建物である。 明治2年金剛峯寺と改称されるまで青巖寺と呼ばれていた。 大主殿(東西54m・南北63m 和歌山県重要文化財)のほか、別殿・新別殿・奥殿・新書院・茶室 ・阿字観道場・経蔵・鐘楼・後庭に伝燈国師廟・護摩堂等が並び輪奐の美をなしている。 現在の金剛峯寺は一つの独立した形をなし座主の住寺であるが、高野山全体を総括する伝統をそのままここに残され、 又、高野山真言宗の総本山として一切の総務を司どる総務所があって全国及び海外の末寺四千カ寺の行政を統べ、 壱千万大師信徒の信仰の中心となっている。
宝 来 「ほうらい」は、「絵絹」 「えとがみ」等とも言われ、 昔から御米の出来ない高野山では、しめ縄の代わりに御正月の床の間を飾るおめでたいものとしてその伝統を受け継いでおります。 「寿」 「えと」は床の間・居間・玄関等「如意宝珠」は、床の間・居間・玄関等「如意宝来」は仏壇・神棚・台所等に一年間飾るそうです。
世界遺産 金剛峯寺 国指定史跡・世界遺産 金剛峯寺 西暦1131年(天承元年)10月17日に覺鑁上人(かくばんしょうにん)が鳥羽上皇の許を得て大伝法院(だいでんぽういん)を建立、 その後豊臣秀吉が亡き母公の菩提を弔うため、木食応其上人(もくじきおうごしょうにん)に命じて建立したことに始まります。 当寺は、秀吉公の母公の剃髪が納められたため、剃髪寺と名付けられたそうですが、 のちにその名を青厳寺と呼び、応其上人の住坊となりました。 その後は法印御房の住坊となり栄華を誇りましたが、再三の火災によって焼失し、 現在の本殿は西暦1863年(明治元年)に行政官から青厳寺を金剛峯寺へ改号するよう指導され、 さらには隣接していた興山寺というお寺の庁舎として使用することになりました。 その後、この二つのお寺は合併され、総本山金剛峯寺として現在に至っています。 金剛峯寺山門 金剛峯寺の建物の中で一番古く、西暦1593年(文禄2年)に再建されたものです。 昔はこの門を正面から出入りできるのは天皇・皇族、当山の重職に限られていました。 今でも一般の僧侶は、右の小さな入り口をもっぱら利用しています。 和歌山県 案内板より
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