金沢八景 称名寺(しょうみょうじ)      Shomyoji Temple       11.Oct.2009         天空仙人の神社仏閣めぐり


金沢八景 称名寺
「称名寺」

金沢八景 称名寺

金沢八景 称名寺
「仁王門」

金沢八景 称名寺 平橋
「平橋」

金沢八景 称名寺 反橋
「反橋」

金沢八景 称名寺 金堂 金沢八景 称名寺 金堂
「金堂」「金堂」
KondoKondo
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金沢八景 称名寺 金沢八景 称名寺
「赤門」「仁王門」
AkamonNioumon
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金沢八景 称名寺 釈迦堂 金沢八景 称名寺
「釈迦堂」
Shakado
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金沢八景 称名寺 金沢八景 称名寺
「花頭窓」
Katoumado
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金沢八景 称名寺 金沢八景 称名寺 三つ鱗
「宝篋印塔」「北条氏 家紋 三つ鱗 北条鱗」
HoukyointouMitsu-Uroko
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金沢八景 称名寺(しょうみょうじ)

Shomyoji Temple

神奈川県横浜市金沢区金沢町212-1

212-1,Kanazawa-cho,Kanazawa-Ku,Yokohama-shi,Kanagawa


国指定史跡 称名寺境内

称名寺は、金沢山称名寺と号し、真言律宗の別格本山として西大寺末の律院で、本尊には木造弥勒 菩薩立像(鎌倉時代、重要文化財)が安置されています。

本寺は、金沢北条氏一門の菩提寺で、草創の時期は明らかにしていませんが、正嘉二年(1258 )、金沢氏の祖と称されている北条実時(1224〜1276)が、六浦荘金沢の居館内に営んだ 持仏堂から発したと推定されています。

その後、称名寺の基礎が定まるとともに伽藍の整備が着手され、実時の子、顕時(1248〜13 01)の時代には、弥勒堂、護摩堂、三重塔などが建立され、さらに顕時の子、貞顕(1278〜 1333)は伽藍の再造営を行い、元亨三年(1323)には、苑池を中心として弥勒来迎板絵( 重要文化財)に荘厳された金堂を初め、講堂、仁王門など、七堂伽藍を備えた壮麗な浄土曼荼羅に もとづく伽藍を完成させました。

しかし、元弘三年(1333)、北条氏の滅亡により鎌倉幕府の崩壊を契機として伽藍の維持が困 難となり、江戸時代に入ると創建当時の堂塔の姿を失いました。

大正十一年、称名寺の内界である中心区域が国指定を受け、更に、昭和四七年、境内背後の丘陵を 含めた範囲が指定されるとともに、昭和六二年には、庭園苑池の保存整備事業が行われました。

平成六年三月

横浜市教育委員会 史跡称名寺境内愛護会 案内板より


称名寺庭園

称名寺の庭園は、元亨(げんこう)三年(1323)に描かれた重文「称名寺絵図並結界記(けっ かいき)」によって、伽藍の配置と共に完成時の姿を知ることができます。

庭園は、金沢貞顕(さだあき)の時代の文保三年(1319)から、翌年の元応二年にかけて造ら れました。

作庭には性一(しょういつ)法師が携わり、青嶋石を使用した90数個の景石を、中島や池の周囲 に大量の白砂と共に配置することなどを指示し、その満々と水が注がれた苑池には貞顕から贈られ た水鳥が放され、ここに伽藍の美観の要とされる浄土庭園の完成が見られました。

苑池は金堂の前池として、浄土思想の荘厳のために設けられたもので、南の仁王門を入り、池を東 西に二分するように中島に架かる反橋と平橋を渡って金堂に達するようになっています。

このような配置は、平安時代中期以降盛んになった、浄土曼荼羅(まんだら)の構図に基づき造ら れた浄土庭園の系列にあるもので、称名寺の庭園は、時代的に浄土庭園の基本的な形態を残す最後 のものとして、庭園史上高い評価を得ております。

平成5年3月

横浜市教育委員会 史跡称名寺境内愛護会 案内板より


金沢文庫と称名寺の文化財 

右手のトンネルの先に神奈川県立金沢文庫が建つ。この一帯は「文庫ヶ谷」と呼ばれていたので、 中世の金沢文庫がこのあたりにあったものと推定されている。

金沢文庫は、北条実時・顕時・貞顕の金沢北条氏三代によって収集された和漢の貴重書を納めた書 庫であったが、元弘三年(1333)5月、鎌倉幕府滅亡によって主を失い、蔵書は称名寺が管理 するところとなった。しかし金沢文庫本の大半は、室町幕府・上杉氏・小田原北条氏・豊臣秀次・ 徳川家康・加賀前田家など、歴代の権力者によって外へ持ち出されてしまった。

現在の金沢文庫は、称名寺に伝来した美術工芸品・古書・古文書などおよそ二万点を収蔵する博物 館として運営されている。大橋新太郎氏の寄付を受け、神奈川県によって昭和5年に史跡称名寺境 内(後方阿弥陀院跡の芝地)に建設され、平成2年に現在地の新館に移転した。

神奈川県立金沢文庫では、国宝「四将像」(金沢北条氏歴代肖像画)・「文選集注」をはじめ、重 要文化財「金沢文庫文書」(四、一四九通)・「宋版一切経」(三、四八六帖)・「称名寺聖教」 (一三、〇二七点)および絵画・彫刻・工芸品など、鎌倉文化の精華を伝える貴重な文化財を保管 し、調査を進めるとともに、展覧会を開催して研究成果を一般に公開している。


横浜市指定有形文化財(建造物)

称名寺塔頭光明院表門(しょうみょうじたっちゅうこうみょういんおもてもん)

平成4年11月1日 指定

構造及び形式

四脚門、切妻造茅葺(きりづまづくりかやぶき)、袖塀付(そでべいづき)

時代

寛文5年(1665)

光明院は、称名寺の塔頭のひとつで、「新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)」に「光 明院、仁王門に向って左にあり、五院の第一臈(ろう)なり、本尊地蔵春日(はるひ)の作なり」 とあり、江戸時代後期には、5つの塔頭の一位を占めていました。

この表門は、小規模な四脚門ですが、和様を基調に禅宗様を加味した意匠となっています。

また、市外から近年移築された三渓園の建造物などを別にすれば、造営年代が判明する市内の建造 物のなかで最も古く、極めて貴重です。

平成5年3月

横浜市教育委員会

境内 案内板より


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