甲斐善光寺(かい ぜんこうじ)      Kai Zenkoji Temple    天空仙人の神社仏閣めぐり

甲斐善光寺 Official Page
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「山門」「金堂」
SANMONKONDO
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甲斐善光寺 扁額 写真 甲斐善光寺 武田菱と懸魚(げぎょ) 写真
「扁額」「武田菱と懸魚(げぎょ)」
HENGAKUTakeda-bishi & Gegyo
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甲斐善光寺(かい ぜんこうじ) 

Kai Zenkoji Temple

山梨県甲府市善光寺3−36−1

3-36-1,Zenkoji,Kofu-Shi,Yamanashi


甲斐善光寺の歴史と宝物

当山は、開基武田信玄公が、川中島の合戦の祈、信濃善光寺の焼失を恐れ、永禄元年(1 558)、御本尊善光寺如来像をはじめ、諸仏寺宝類を奉遷したことに始まります。 板垣の郷は、善光寺建立の大檀那本田善光公葬送の地と伝えられ、善光寺如来因縁の故地 に、開山大本願鏡空上人以下、一山ことごとくお迎えいたしました。

その後、武田氏滅亡により、御本尊は織田・徳川・豊臣氏を転々といたしましたが、慶長 三年(1598)信濃に帰座なさいました。甲府では新たに、前立仏を御本尊と定め、現 在に至っております。

江戸時代には、本坊三院十五庵を有する大寺院として浄土宗甲州触頭を勤め、徳川家位牌 所にもなっておりました。豪壮な七堂伽藍は、一度焼失いたしましたが再建され、東日本 最大級の伽藍として広く知られております。 また、重要文化財五件・県指定文化財四件、市指定文化財八件をはじめとする文化財の宝 庫として著名で、その一部は宝物館等で公開しております。


御本尊善光寺如来像

金堂正面厨子安置の、当山の御本尊阿弥陀三尊像は、建久六年(1195)尾張の僧定尊 が、信濃善光寺の前立仏として造立したものです。善光寺の御本尊は、仏教伝来とともに 将来された、生身すなわち、実際に生命が宿っている霊像として深く信じられでおりまし た。 しかし、絶対の秘仏のため、人々が拝むことはできません。そこで鋳造されたのが、本像 であると考えられ、文化史的にもたいへん貴重な存在です。 本像は、いわゆる一光三尊式善光寺如来像の中では、在銘最古、かつ例外的に大きな等身 像として知られています。

平成九年春に、御本尊の八十年振りの御開帳、平成十五年春に復活第二回目の御開帳を厳 修いたしました。 以後は信濃善光寺様と同様、七年目ごとの御開帳を予定しております。


金堂・山門

武田信玄公建立の七堂伽藍は、宝暦四年(1754)門前の失火により、灰燼に帰してし まいました。 現在の金堂・山門は、寛政八年(1796)に再建れました。 金堂は、善光寺建築に特有の撞木造とよばれる形式で建てられています。 総高27m、総奥行49m。文化財指定木造建築物として、日本でも十指に入る巨大なも ので、重層建築の山門とともに重要文化財に指定きれております。金堂の下には、「心」 の字をかたどる、珍しいお戒壇廻りもあり、鍵を触れることによって、ご本尊様と御縁を 結んでいただけます。


日本一の鳴き龍

金堂中陣天井には、巨大な龍が二頭描かれています。廊下の部分のみ、吊り天井となって おり、手をたたくと多重反響現象による共鳴が起こります。 当山の鳴き龍は、日本一の規模を持ち、参拝者に親しまれています。


甲斐善光寺 しおり より


定額山浄智院善光寺由来

定額山浄智院善光寺は、永禄年中に武田信玄公が、川中島合戦の折、信濃善光寺の類焼す るのを恐れ、本尊阿弥陀如来その他、諸仏、寺宝、大梵鐘に至るまでことごとく移し、信 濃善光寺開基本田善光公の追葬の地で、十年精舎の旧跡であるここ板垣の地に新たに建立 せられたものである。 開山は信濃善光寺大本願第37世鏡空上人智浄比丘尼である。

元亀3年には本坊3院15庵83坊が完成し、寺は荘厳を極めるに至った。前立本尊は建 久6年僧定尊が夢の告げによって発願し造立した金銅善光寺式等身大阿弥陀如来で、世に 新仏と称する霊像にして、国の重要文化財である。

また金堂内陣西の間には三国伝来燈籠仏を安置している。これは聖徳太子が日夜礼拝した 霊物と伝えられ、高さ1寸8分の一光三尊であるが、世々秘封せられている。

その後、歴代国主の厚い帰依を受け、貞享2年には浄土宗甲斐国触頭となったが、宝暦4 年民家から出た業火によって類焼し、堂塔ことごとく烏有に帰した。そこで中興癡誉、性 誉両上人が再建を計ること30有余年ようやく寛政8年に至って落慶した。

これが現金堂、山門で、昭和30年国の重要文化財に指定せられた。また昭和32年より 5ヶ年間国、県、市、壇信徒の力を結集して修理工事を行った。

なお文禄年間に甲斐の国主浅野長政公が他寺より動座した木造定朝様阿弥陀三尊像二組も 国の重要文化財である。その他県指定文化財の木造源頼朝公像、坐像等多数の寺宝を所蔵 し、また寺域には文禄2年、朝鮮の役で戦病没した国主加藤光泰公の墓所などもある。

本寺は創建以来時に盛衰はあったが、全国の深い尊信を集め今日に至っている。


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