石手寺(いしてじ)    Ishiteji Temple        四国霊場 五十一番  天空仙人の神社仏閣めぐり

石手寺 Official Page
四国霊場 五十一番 石手寺 山門 四国霊場 五十一番 石手寺
「山門」「石手寺」
the main gate of a Buddhist templeIshiteji Temple

四国霊場 五十一番 石手寺 四国霊場 五十一番 石手寺 三重塔
「扁額」「三重塔」
HengakuThree-storied pagoda

四国霊場 五十一番 石手寺 四国霊場 五十一番 石手寺
「おおわらじ」「金剛杵 五鈷杵?」
OO-WARAJIGOKOSHO

四国霊場 五十一番 石手寺 四国霊場 五十一番 石手寺

四国霊場 五十一番 石手寺
拡大 画像クリック

四国霊場 五十一番 石手寺(いしてじ)

Ishiteji Temple

愛媛県松山市石手2−9−21

2-9-21,Ishite,Matsuyama-Shi,Ehime


宗派: 真言宗豊山派

本尊: 薬師如来

真言: 「おん ころころ せんだり まとぅぎ そわか」

詠歌: 「西方を よそとは見まじ 安養の 寺に詣りて 受くる十楽」


由緒


縁起: 神亀5年(728年)、聖武天皇の勅命を受けた伊予の大守、越智玉澄が 鎮護国家の道場として伽藍を建立し、安養寺と名付けたのがはじまりで、 翌年の天平元年に行基菩薩が来錫して薬師如来を刻み、それを本尊として 開創した寺です。

四国遍路の元祖、衛門三郎はもともと強欲な男で、托鉢僧として訪れた大師の 鉄鉢を割り、追い払ってしまいました。

すると翌日から8人の子供たちが次々と急死、前非を悔いた三郎は大師を 求めて四国中を廻り、今際の際についに大師に出会いました。

大師は三郎を許し、小石に「衛門三郎再来」と記して、その手に握らせました。

間もなく、伊予の領主河野息利に、その小石を握り締めた子供が誕生し、 三郎の再来とわかったということです。

その石がこの寺の宝物館におさめられたところから、石手寺と改められたものです。

本堂、仁王門、三重塔などいずれも鎌倉時代のもので、国宝、重要文化財に 指定されております。お寺の規模と言い、長い歴史、古い由緒、参詣者の数など、 四国88ケ所の中でも指折りのお寺です。松山の人々は石手のお大師さんと 言って親しみ、どんな大雨の日でもお詣りの線香の煙が絶えることはありません。

四国霊場51番札所で、伊予国司越智玉純が神亀5年(728)に創建。 最初は安養寺といったが、天長9年(832)に国司河野息利の子が 「衛門三郎再生」と書かれた石を握りしめて生まれたということから 石手寺と改められた。


ホーム神社・仏閣めぐり初詣おすすめスポット御利益別寺社一覧御利益グッズ言い伝え


Copyright © 1999 I.HATADA All rights reserved.

inserted by FC2 system