日枝神社(ひえじんじゃ)
       Hie Jinja Shrine
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日枝神社 日枝神社
「日枝神社」
Hie Jinja Shrine
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日枝神社 山王鳥居 茅の輪くぐり
「山王鳥居」「茅の輪くぐり」
Sannou ToriiChino wa Kuguri
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日枝神社 注連縄 日枝神社
「注連縄」「門帳」
ShimenawaMoncho
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日枝神社 皇城之鎮扁額 日枝神社 扁額
「皇城之鎮扁額」「日枝神社扁額」
Kojo no ShizumeHengaku

日枝神社 神猿像 日枝神社 神猿像
「神猿像」「神猿像」
Shinen ZouShinen Zou
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日枝神社 神猿像 日枝神社 まさるの守土鈴
「神猿像」「まさるの守土鈴」
Shinen ZouMasaru no Mamori Dorei
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日枝神社 山王絵馬 日枝神社 山王絵馬
「山王絵馬」「山王絵馬」
Sannou EmaSAannou Ema
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日枝神社 山王絵馬 土鈴みくじ
「山王絵馬」「土鈴みくじ」
Sannou EmaDorei Mikuji
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日枝 山王祭

日枝神社 山王祭(神幸祭) 日枝神社 鳳輦
「山王祭(神幸祭)」
「鳳輦」
Horen

日枝神社 山王祭(神幸祭) 日枝神社 山王祭(神幸祭)
「獅子頭」

日枝神社 山王祭(神幸祭) 日枝神社 山王祭(神幸祭)

日枝神社 山王祭(神幸祭) 日枝神社 山王祭(神幸祭)

日枝神社(ひえじんじゃ)

Hie Jinja Shrine
東京都千代田区永田町2−10−5
2-10-5,Nagata-Cho,Chiyoda-Ku,Tokyo
TEL 03-3581-2471
東京メトロ銀座線・丸の内線赤坂見附駅から徒歩約3分

ご利益

諸願成就、子育て、夫婦和合

御祭神

大山咋神(おおやまくひのかみ)
相殿に鎮まります神々
国常立神(くにのとこたちのかみ)
伊弉冉神(いざなみのかみ)
足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)

御神徳

大山咋神の「咋」は「主」という意味で、大山の主であると共に広く地主神として崇められ、 山・水を司り、大地を支配し万物の成長発展・産業万般の生成化育を守護し給う御神徳は広大無辺であります。

御社号

慶応4年(明治元年)6月11日以来、日枝神社の称号を用いる事となりまいたが古くから 「日吉山王社」「日吉山王大権現社」「江戸山王大権現」「麹町山王」ひろく「山王社」等と称され、 一般には常に「山王さん」の名で親炙されて来ました。

御由緒

当社は武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神として江戸氏が山王宮を祠り、さらに文明10年(1478) 太田道灌公が江戸の地を相して築城するにあたり、鎮護の神として川越山王社を勧請し、 神意赫赫として江戸の町の繁栄の礎を築きました。
やがて天正18年(1590)徳川家康公が江戸に移封され、江戸城を居城とするに至って「城内鎮守の杜」「徳川歴朝の産神」として、 又江戸市民からは「江戸郷の総氏神」「江戸の産神」として崇敬されました。 二代秀忠の時の江戸城大改造の際、城内紅葉山より新たに社地を江戸城外に定め、社殿を新築して遷祀されました。 世に伝える元山王と称する地は今の隼町国立劇場付近である。 この時から別当神主を定め神社の規模は大いに備わり広く一般衆庶も参拝し得る道を開きましたが、 明暦3年(1657)の大火に社殿炎上の災に遇いましたが、 時の将軍家綱は直ちに赤坂の溜池に臨む松平忠房の邸地を官収して社地に充て、結構善美を尽くした権現造り社殿を造営・遷祀され、 天下太平・万民和楽を守護する祈願所として崇敬されました。
明治元年東京奠都と共に勅使奉幣が行われ、御西下御東幸に際しては御途中安全の御祈祷を修せしめられ、 明治2年7月天下水患にあたり勅使祈晴の御事があり、宮妃御懐妊の際は安産の御祈を修せられ、 皇室典範帝国憲法の制定を始めとして開戦及び平和克復等の重大事に際しては、常に勅使参向御奉告が行われ、 畏くも大正天皇儲宮にまします時、新しく御参拝があり、明治天皇は御愛蔵の御太刀一振(長光)を進献あそばされました。
万治2年御造営の社殿は、江戸初期の権現造りの代表的建物として国宝にしていされていましたが、 昭和20年5月戦禍に遭い、末社山王稲荷神社を残し悉く烏有に帰しましたが、 氏子崇敬者の赤誠奉仕により「昭和御造営」の画期的な大業が企画され、昭和33年6月本殿遷座祭齋行、 引き続き神門・廻廊・参集殿等が逐次完成、更に末社改築、摂社の大修築、神庫校倉の改造等を相次いで竣工し、 全都をあげて之を慶賀し、昭和42年6月奉祝祭が先ず齋行され、この間、昭和33年6月現社地御鎮座三百年祭を齋行し、 ここに昭和24年復興後援会発祥以来10年に亘る歳月を以て、山王台上に再び大社の偉容を拝するに至りました。

日枝神社 参拝のしおり から


UNTICTIONARY

天長7年(830)に、慈覚大師が近江の日吉神社から川越山王社へ勧請したものを、 太田道灌が江戸城の守り神として城内に移し、さらに江戸時代、明暦の大火後現在地に移した。
古くから「山王さま」として親しまれ、徳川家の信仰も厚かった。
江戸城内に入城を許された御輿は、日枝神社と神田神社の二社のみとされ、氏子の喧嘩を防ぐため、 この二社の大祭は、交互に隔年に行われるようになったといわれている。

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