般若寺(はんにゃじ) Hannyaji Temple 天空仙人の神社仏閣めぐり
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Roumon | Hondo |
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「十三重石宝塔」 | 「笠塔婆」 |
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Jusanju Sekihou-to | Kasa-Toba |
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「文殊菩薩絵馬」 | 「絵馬」 |
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Monju-Bosatsu Ema | Ema |
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西国薬師第3番・関西花の寺第17番札所
Hannyaji Temple
奈良市般若寺町221
221,Hannyaji-Cho,Nara-Shi,Nara
般若寺 歴史
また平安時代は寛平七年(895)の頃、観賢僧正が学僧千余人を集めて学問道場の基をきずき、 のち長らく学問寺としての般若寺の名声は天下に知れわたっていたという。ところが源平の争乱に 際しては、治承四年(1180)平重衡の南都焼討にあい伽藍は全て灰儘に帰し、礎石のみが草む らに散在する非運に見舞われた。 しかし鎌倉時代に入って般若寺は不死鳥の如く再生する。荒廃の中からまず十三重大石塔が、名も 無き民衆の信仰の結晶として再建され(建長五年頃)、続いて良恵上人が本願となって十方勧進し、 金堂・講堂・僧坊をはじめとする諸堂の復興造営をはかられた。 さらに文永四年(1267)には叡尊上人発願の文殊菩薩丈六大像が本尊に迎えられ、かつての大 般若寺の偉容がみごとに復興したのである。それは同時に、境内の一隅に病舎を設けて孤独な病人 を助けたり、布施行の大法要を営んで人生苦にうちひしがれた苦悩の衆生を済度するなど興法利生 (正しい教えを興隆して社会に奉仕する)の寺をめざす復興でもあった。 その後、般若寺は室町戦国期の戦乱による衰微、江戸期の復興、明治の排仏と幾多の栄枯盛衰を経 ながらも、常に自利利他(己れを高め他を助ける)の菩薩道精神を法灯にかかげ現代の復興を俟つ に至っている。 〔般若寺詠唱〕 み仏のめぐみもふかき般若台 ももの願ひをかなへ給はむ 御詠歌 山寺は若葉のゆれもなつかしく こころおのづとくつろぎにけり 青葉 ちりたまる花や般若の紙の向き 去来 般若寺に返り咲く八重山吹や 多津良 獅子の背の菩薩涼しくおがまるる 玉骨 秋の日の十三塔や日は西に 素十 唐びとが月をろがみし笠塔婆 秋桜子 〔花こよみ〕 ◎水仙(12月〜2月) ◎山吹(4月) ◎あじさい(6月) ◎コスモス夏咲(6月)
般若寺 パンフレットより |
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