京都 五智山 蓮華寺(ごちさん れんげじ)      Gochisan Rengeji Temple      April.2005  天空仙人の神社仏閣めぐり

近畿三十六不動尊霊場会へ

五智如来 つながり

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五智山 蓮華寺 五智如来
「五智如来」
Gochi-nyorai
(向かって左から釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来、宝生如来、薬師如来)

五智山 蓮華寺 五智山 蓮華寺 釈迦如来
「本堂」「釈迦如来」
HondoShaka-nyorai
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五智山 蓮華寺 阿弥陀如来 五智山 蓮華寺 大日如来
「阿弥陀如来」「大日如来」
Amida-NyoraiDainichi-Nyorai
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五智山 蓮華寺 宝生如来 五智山 蓮華寺 薬師如来
「宝生如来」「薬師如来」
Hosho-NyoraiYakushi-Nyorai
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五智山 蓮華寺 五智山 蓮華寺
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五智山 蓮華寺 五智山 蓮華寺
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五智山 蓮華寺 五智山 蓮華寺 御衣黄
「御衣黄」
Gyoiko Sakura
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五智山 蓮華寺 五智山 蓮華寺
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五智山 蓮華寺 五智山 蓮華寺 御衣黄
「御衣黄」
GYOIKO
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五智山 蓮華寺 五智山 蓮華寺
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京都 五智山 蓮華寺 (ごちさん れんげじ)

Gochisan Rengeji Temple

京都府京都市右京区御室大内20

20,Omuro-Oouchi,Ukyo-Ku,Kyoto-Shi,Kyoto


御利益

交通安全、安産、厄除け、合格祈願、きゅうり封じ


五智山 蓮華寺 略史

大同元年(806)中国より帰朝された弘法大師が北嵯峨 現在の後宇多天皇御陵地内岩 屋の中に不動明王を感得され石に刻んできゅうりふうじの秘法を残された。

天喜5年(1057)藤原康基は此の不動尊を奉祀すると共に弥陀・観音等の諸像を安置 し、周防国鷲頭の庄を寺領として付し蓮華寺を建立した。

徳治年中(1306〜1308)後宇多天皇は東寺・高野山に匹敵する構想を以て当山を 中興し蓮華峰寺と改め給い 自ら住職となり理趣経の根本道場と定められたが応仁の兵火 (1467)にあい荒廃の余儀なき歳月を送った。

寛永18年(1641)樋口平太夫家次翁は、仁和寺宮覚深法親王(後水尾天皇皇兄)の 御庇護により後宇多天皇の五智輪円の遺風を顕彰して鳴滝音戸山に五智如来等の石仏群像 を造立 伽藍・堂宇を再興して、五智山蓮華寺と称した。

その後乗円・曇寂の碩徳大学者を輩出し、法流の御家元御室御所院家となり、我が国に於 ける法皇たる総法務ノ宮(仁和寺ノ宮)の御指南役をつとめると共に六十六部の総本山と して、広く天下の尊崇を聚めた。

昭和3年(1928)中興第18世大僧正慈海上人に依って堂宇伽藍は現在地に遷され昭 和33年(1958)檀家総代川本直水氏によって山上に取り残されて損傷甚しかった五 智如来等の石仏群が台石と共に原形のまま現境内に遷された。

現在真言宗御室派別格本山・近畿三十六不動尊第十五番霊場となっている。

維時 昭和57年6月26日

蓮華寺中興第十九世 桑田善照


蓮華寺

五智山と号する真言宗御室派の別格本山で、庭に安置された五体の大きな石仏(五智如来像)が有名である。

平安時代の天喜五年(1057)に後冷泉天皇の勅願により藤原康基が創建した。 はじめ、広沢池の北西にあったが、応仁の乱の後、鳴滝の音戸山山腹に移され、 長く荒廃していたのを、寛永十八年(1641)に江戸の豪商,樋口兵太夫翁が再興し、 山頂に石造の五智如来像を安置した。 その後、火災にかかって焼亡し、昭和三年(1928)に現在地に移された。

昭和三十三年(1958)には、離散していた石仏が集められて安置され、 境内に並ぶ五智如来像五体と観音坐像十一体の石仏群は壮観である。 五智如来とは薬師、宝生、大日、阿弥陀、釈迦の五仏で、智恵の祈願仏として知られ、 現在も学業の守護尊として信仰を集めている。 不動堂には、寛朝大僧正が円融天皇の中宮・藤原詮子のために安産を祈ったといわれる本尊・五智不動尊が安置されている。

京都市 駒札より


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