華林山 慈恩寺(じおんじ) 慈恩寺観音 Jion-ji Temple 坂東三十三観音霊場12番札所 25.Nov.2006 天空仙人の神社仏閣めぐり
「本堂(観音堂)」 | |
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Hondo | |
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「五色幕」 | 「鬼瓦」 |
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Goshiki-maku | Oni-gawara |
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「鰐口」 | |
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Waniguchi | |
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「南蛮鉄の灯籠」 | 「詠歌奉納額」 |
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Tohroh | Eika Hounougaku |
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「金銅製阿弥陀如来坐像」 | |
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Kondousei Amida-nyorai-zazou | |
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「香炉の獅子」 | 「香炉の邪鬼」 |
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Koro no Shishi | |
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「獅子と貘の木鼻」 | 「難関突破絵馬」 |
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Kibana | Ema |
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「大唐玄奘三蔵霊骨塔」 | 「玄奘三蔵法師像」 |
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Genjyo-Tower | Genjyo-Sanzo-Houshi-zo |
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埼玉県さいたま市岩槻区慈恩寺139
139,Jionji,Iwatsuki-ku,Saitama-shi,Saitama
御本尊 千手観世音菩薩 第十二番 華林山 慈恩寺 【ご詠歌】 慈恩寺へ 詣るわが身も たのもしや うかぶ夏嶋を 見るにつけても 慈覚大師、日光山よりの帰途、弘法弘通の霊地あらば示し給えと、一顆の李を投ぜしに虚空を?ん でこの地に止まり、一夜にして李樹茂りたれば、華林山と名づけ、大師自刻の千手観音を安置した のがこの寺の草創なり、なお、境内の風光、唐の大慈恩寺に似たるをもって寺号となす。 やがて寺門栄え、天文18年太田青正の寄進状には六十六ヶ坊を記す。のち岩槻城主の庇護をうけ、 坂東札所屈指の大寺となる。 子年の開帳法要は荘厳をきわめ、境外には「唐玄奘三蔵法師」の霊骨塔あり。 慈恩寺 御朱印 より
慈恩寺 縁起 名称 華林山 最上院 慈恩寺 宗派 天台宗 本尊 千手観世音菩薩 坂東三十三霊場 第十二番札所 当山は天長元年(824)慈覚大師(円仁)により開かれた寺である。 寺名は大師が入唐求法の折、遊学された中国長安(現在の西安)にある大慈恩寺にちなんで寺名と されたのである。盛時には十三万五千坪の境内と、塔中六十六ヶ坊を有する大寺であったが、数次 の災厄(寛永、天保、明治)に堂宇什寶等ほとんどが烏有に帰し、現在に及んでいる。 現在の本堂(十三間四面)は天保十四年(1843)建立になり、本尊は大師御作焼失後、寛永年 間に天海僧正が比叡山より将来されたものである。 観世音菩薩は現世の諸願を叶えるみ佛として古来多くの人々に親まれ、信仰されて来たが当山は特 に夫婦円満、家内平安、子宝に恵まれるみ佛として毎年秋の大祭にはその年結婚した婦人が姑と共 に参詣する風習が今に伝えられている。
玄奘三蔵 霊骨塔 西遊記(孫悟空物語)で知られる三蔵法師(玄奘)は、西暦602年中国に生れ、教典を求めて、 天竺(インド)を志し幾多の辛苦を克服して、17年に亘って佛典の蒐集研鑽に励み、しかも帰国 後63歳で遷化されるまでに、大般若経(600巻)等1300余巻の教典を訳した。その行跡は 、中国、日本佛教史上に不滅の光を放つ不世出の高僧である。 ながく不明であった霊骨が昭和17年に北京に於いて発見され、日本にも分骨贈与されて当山が法 師有縁の地として、昭和25年十三重の塔を建立し全佛教徒の聖地とすべく奉安したものである。 |
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