八溝山 日輪寺(にちりんじ) Nichirinji Temple 坂東三十三観音霊場第21番札所 19.Oct.2012 天空仙人の神社仏閣めぐり
「日輪寺」 |
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「日輪寺」 | 「八溝山 扁額」 |
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Nichirinji Temple | Hengaku |
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「弁財天像」 | 「偽坂東の鳥居」 |
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Bebzaitenzou | |
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Nichirinji Temple
茨城県久慈郡大子町上野宮2
2,Kaminomiya,Daigo-machi,Kuji-Gun,Ibaraki
御本尊 十一面観世音菩薩 第二十一番 八溝山 日輪寺 【御詠歌】 迷う身が 今は八溝へ 詣り来て ほとけのひかり 山もかがやく 八溝山脈の主峯に開かれし古刹にして、役行者の開基なり のち弘法大師は、 八葉の蓮華の如き山相より八溝山と名づく十一面観音の影向ありて、尊像を安置し、宝前に日想観を修して、 日輪の現ずるにより寺号となす。 大師は山中に住む鬼神大猛丸を本尊の加被により退け、 また、玄翁和尚は本尊を祈念して降魔の念珠を授かり、「殺生石」を砕くなど、その霊験著るし、まさに山岳信仰深秘の霊場なり。 慈覚大師の来錫あって天台法門に属し、源頼朝、水戸光圀の尊信篤き観音(さった)なり。 八溝山 日輪寺 御朱印 より
日輪寺由来 茨城県・栃木県・福島県にまたがる八溝山の霊場日輪寺は、 いまから千三百年前に開山され大同三年弘法大師現世浄土の大理想をもってみづから十一面観世音の霊像を刻み本尊となし、 朝に祖国の隆昌と安民豊楽の護摩修行、夕べに有無両縁の冥福を祈願し、 茲に北関東と南奥州の大道場として信者を広め、永延三年板東二十一番の霊場となりました。 爾来徳川期に至り、光圀公及び家光公は、 常陸依上郷四十二ヶ村、奥州白河北郷八十六ヶ村、白河南部五十八ヶ村、下野那須郡二百六十ヶ村に寄符を配興し、 春秋二期齋供を納めつつ、寺門維持の法をたてたのであります。 明治十三年山火事のため堂塔を焼失しましたが、霊場の加護により尊仏は難を免れ、 大正四年四月旧観音堂跡現日輪寺が再建され現在に至りましたが、堂舎の破損甚だしく且狭隘であるため、 地元の有志と相詢り「日輪寺観音堂休憩所再建」を協議の結果、 茨城・栃木・福島並びに全国の信者有志のご支援・ご協力を得て、昭和四十八年現在のような堂宇が建設されたのであります。 境内 案内板より
坂東霊場の中で最大の難所で、そのあまりの辛さに、 八溝山日輪寺だけは麓の鳥居の前で参拝を済ませてしまう人も多かったらしく、「八溝知らずの偽坂東」と揶揄されていた
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