倉敷 阿智神社(くらしき あち じんじゃ)
     Achi Jinja Shrine 
                天空仙人の神社仏閣めぐり
阿智神社 Official Page
倉敷 阿智神社 倉敷 阿智神社
「拝殿」「拝殿」
HAIDENHAIDEN
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倉敷 阿智神社倉敷 阿智神社 還暦坂と随神門
「本殿」「還暦坂と随神門」
HONDENKANREKI-ZAKA ZUISHIN-MON
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倉敷 阿智神社 倉敷 阿智神社
「絵馬殿」
EMA-DEN
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倉敷 阿智神社 鶴亀の石組 倉敷 阿智神社 干支恵方盤
「鶴亀の石組」「干支恵方盤」
TURU-KAME NO ISHIGUMIETO EHO-BAN
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倉敷 阿智神社 合格祈願絵馬倉敷 阿智神社 厄除坂
「合格祈願絵馬」「厄除坂」
GOKAKU-KIGAN EMAYAKUYOKE-ZAKA
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倉敷 阿智神社(くらしき あち じんじゃ)

Achi Jinja Shrine

倉敷市本町12−1

12-1,Honcho,Kurashiki-Shi,Okayama


阿智神社略記 

鎮座地 倉敷市本町12−1 鶴形山山頂 標高43m 

旧社格 県社


御祭神

主祭神 

    宗像三女神(むなかたさんにょじん)

    多紀理毘売命(たぎりひめのみこと) 

    多岐津比売命(たぎつひめのみこと) 

    市寸嶋比売命(いちきしまひめのみこと))  

相殿神 

    応神天皇(おうじんてんのう)

配神 

    伊邪那岐命(いざなぎのみこと) 

    伊邪那美命(いざなみのみこと) 

    天照皇大神(あまてらすすめおおかみ) 

    素盞嗚尊(すさのおのみこと) 

    八意思兼神(やごころおもいかねのかみ)

    八十枉津日神(やそまがつひのかみ) 

    神直日神(かむなおびのかみ) 

    大直日神(おおなおびのかみ) 

    大穴牟遅命(おおなむちのみこと) 

    少彦名命(すくなびこなのみこと) 

    稲田姫命(いなだひめのみこと) 

    久那斗神(くなどのかみ) 

    住吉三前大神(すみよしみさきのおおかみ)

    上筒男神(うわつつのおのかみ) 

    中筒男神(なかつつのおのかみ) 

    底筒男神(そこつつのおのかみ) 

    宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと) 

    大市姫神(おおいちひめのみこと) 

    吉備津彦命(きびつひこのみこと)


沿革 

創祀は応神朝に遡り、まだ当地が海島であった頃、阿知使主(あちのおみ)の一族が半島より帰化し周辺に住みついたと伝えられ、水夫漁民の祖神、海上安全の守護神として祀られる。

周囲は阿知潟と呼ばれる海域であったが、江戸初期には陸化、倉敷代官所が置かれ旧倉敷村の氏神として歴代代官の崇敬厚く、石灯籠はじめ数多くの寄進を受ける。

当時妙見宮(明剣宮)と称され、観龍寺が別当を務めていたが明治2年神仏分離令に伴い現社となる。

明治4年郷社、明治43年近隣12社を合祀昭和17年県社。


阿智神社の杜

一、磐境(いわさか)、磐座(いわくら)、鶴亀の石組(古代庭園跡)陰陽石

「この神社には磐境、磐座のほか蓬莱思想にもとづく鶴亀の石組。陰陽思想的な磐座が遺され、日本庭園に於ける石組の起源を探る貴重な存在として注目されている。

四世紀以後の大和朝廷は朝鮮半島と密接な関係を持つようになり、 古記録によると応神天皇の時代に東漢氏(やまとのあやうじ)の祖先とされる阿知使主(あちのおみ)とその子、 都加使主(つかのおみ)が十七県(あがた)の漢人(あやひと)を率いて帰化したと書かれており、 その一部がこの地方に定住したものらしい。

この神社が阿知使主族の奉斎するものであることは和名妙に阿智の明神と記されていることからも推定できる。

このあたりは備中府志等によると、阿知潟(あちがた)、社記には吉備の穴海と称される浅海で、 その中の小島に漁民が社殿を奉祀したとある。 彼らは帰化するにあたってその帰属意識を明らかにする為、日本に古来より伝わる磐座や磐境を設け、 更に彼ら民俗の先進的文化を盛り込むべく中国から伝来した鶴亀の神仙蓬莱思想や陰陽思想を導入したものといわれている。

これら石組は現在本殿向かって右側の磐座と磐境、左側の鶴石組と亀石組及び北側に続く枯れ滝式石組、 斎館北側の陰陽的な磐座に見ることが出来る。」

文、配置図−東京農業大学 農学部造園学科 河原武敏先生

二、生命力、生成発展、豊穣への信仰

本殿西脇に戌亥(いぬい)「北北西」の方向へ一線に連なる、磐境(鶴亀の石組−古代庭園)、 荒神社(荒魂の社)、阿知の藤(天然記念物)は古来生命力、生成発展、豊穣と深く関わる信仰の場となっている。

東坂の石段が里より、米寿段、還暦段、厄除段を経て随神門の七段、拝殿の五段に達し、 荒神社の三段で生命力の根源に達するとするのも亦同じ古伝承に基づくものと思われる。

境内 案内板より


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